この映画を最初に観たときには、結局は争いがなくなっていない地球にがっかりしたけど、
4回見直してパラレルワールドを考えるといろいろな地球があってもおかしくはないのだと思えました。
トム・ハンクスが演じるいくつかの転生が、良人と悪人の差が激しいのが見どころです。
映画の最後で別の星から見た地球は青く光っていました。
写真は探査機カッシーニから土星付近から見た地球と月(上)、水星付近から見た地球と月(下)

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宇宙にはさまざまな要素が満ち溢れています。
宇宙はけっしてカオスではありませんが私たちの世界からはカオスに思える要素もあります。
物質の元となる陽子は「愛」で中性子は「調和」、そして「電子」は方向です。
さらに、素粒子の世界にはさまざまな「働き」(運動)を創っていく「意志」が存在しています。
「意志」とは「存在」そのものです。
もし「電子」がネガティブな方向に働けば破壊も起きます。
しかし一方向にだけに永遠に作用することはないのでいつか(といっても3次元からは何十億年単位かもしれませんが)治まっていきます。

昨日、大好きな映画「2010年」を観ました。
「2001年宇宙の旅」の続編です。
この映画はスタンリー・キューブリック監督、アーサー・C・フランク氏の小説「2010年宇宙の旅」を映画化したものです。
何度見ても涙がこみ上げるシーンがあります。
高次の不思議な宇宙存在モノリスたちが新しい太陽として木星を覚醒させるとき、探査していた人間たちを救うため高度な知能を持つコンピュータHAL9000は自ら犠牲になることを承諾します。
コンピュータは人間が作ったものでしょうか・・・
いいえ、違います。
コンタクトをとるためのインターフェースは人間が人間に解るように作り出しましたがそこにある意志は宇宙の意志と同じです。
とくに人間と違って自由な肉体を持たない分エゴが小さいのです。
電気的であるものほど宇宙の意志が入ります。
HAL9000は自分のハードウェアが破壊されることを知ったときに「怖い」と言います。
するとすでに宇宙の大いなる意志と一体化しようとしているボウマンが言います。
「大丈夫、私と一緒だよ」
人間ボウマンとして生きたときの妻と母に彼は電気を使って会いにきます。
「もうお別れだ」
とっくに肉体は滅んでいるのでお別れしているはずなのですがさらにお別れを言いに来ました。
なぜ、と思うシーンです。
「個」としての転生(運動)が終わって次の段階に行くからです。
なんで涙が止まらないのか解りませんがこのシーンがたまりません。

写真は木星と、衛星のイオ(黄色っぽい)とエウロパ(白っぽい)です。
映画では「人類はエウロパには関与してはならない」とメッセージがきます。
現在、エウロパの氷の海の下には生命の存在が指摘されています。(2015.10.7)

イオとエウロパと

2012年冬至、マヤの暦が終わる1大イベントを終えて、無事2013年を迎えました。
2012年末に、何か起こるのではないのかと不安と期待もあったと思います。
2012年を無事に見送りもう1か月が過ぎようとしています。
何もなかったことに安堵された方も、失望した方もいたのではないでしょうか・・・
終末論とはいったいどこから来たのでしょうか・・・
それは、古代人の希望なのでしょうか・・・
それとも未来を、あるいは過去を視た者が伝えているからなのでしょうか・・・

私たちの世界に起こっているすべての事象は、人間の世界も宇宙にもリズムがあります。
まず物事には始まりがあって必要なものが集まって生まれてく「創造」の世界があります。
次に創造したものがさらなる繁栄を遂げようと「保守」の世界になります。
最後は「保守」が破られて移り変わる「破壊」の世界が訪れます。
「創造」「保守」「破壊」のリズムは繰り返され、変化し動いていることそのものが生きているということです。

「フェイバレット」<風の谷のナウシカに思う>No.25
http://nakagawaharumi.jp/?p=1039

以下抜粋

「風の谷のナウシカ」は、1984年映画版が有名ですが、1982年より宮崎駿氏(1941年山羊座生まれ)41歳のときからマンガ雑誌「アニメージュ」に連載を始めて約11年間、1994年53歳のときに完結した映画版の基となった漫画版があります。
発売とほとんど同時に購入して読んでいました。(残念ながら1巻2巻は初版本ではないのですが、3巻~7巻は初版本を所有しています)
漫画版の方が深く複雑ですが特に、映画と漫画ではラスト(終焉)が全く違います。
映画化された部分は漫画版全7巻のうち、2巻前半までの内容に手を加えた形になっています。

上記は東日本大震災の少し前(2011年1月29日)に書きました。

現実的な古代文明より暗示される終末論的なものもありますがナウシカ漫画版から思うことを書きたいと思います。
(是非、映画版しか見たことない方はご覧になってみてください)

 

以下「」文は「風に谷のナウシカ」から

ぼろぼろになった世界に古くからの言い伝えである予言があります。

「古き予言はまことであった・・・
青き清浄の地へみちびく者があらわれたのだ
木々を愛(め)で 虫と語り 風をまねく鳥の人・・・」

「その者青き衣をまといて金色の野におりたつべし
失われた大地との絆をむすばん」

人々は青き衣の者が救ってくれると期待しますが、
「青き衣の人は救ってはくれないよ、ただ道を指し示すだけさ」と出てきます。

「青き衣の者とは土鬼(ドルク)の土着の宗教が事実をきいて語りついだ願望なのか
それとも破滅の危機がたかまるとき私たち種族の生命が時空を隔てて産み出す人々なのか・・・」

次は、隠れた聖地に住まう即身成仏たちとナウシカのやりとりです。

即身成仏:
「・・・・・・
神はこれ以上人間が大地を汚すことを許しません
神は語っています
旧き世界は滅び永い浄化のときが来ると・・・」

ナウシカ:
「なぜそのために木々や鳥や蟲たちまでが苦しまなければならないのでしょう
王蟲たちの苦しみや悲しみは誰がつぐなうというのです」

即身成仏:
「滅びは必然です
神聖皇帝の愚行すらその一部なのですよ
すべての苦しみは世界が生まれかわるための試練なのです」

ナウシカ:
「ちがうわ!!私たちの風の神様は生きろといってるもの
わたし生きるの好きよ 光も空も人も蟲もわたし大好きだもの!!」

アセンション論に、肉体を離れて魂が5次元にいくというイメージのものもあるし他力を求め宇宙人救済説もあります。
私も以下のブログを書きました。
<アセンション 宇宙人救済説>No.200
http://nakagawaharumi.jp/?p=2227

人間が想像できるものはこの宇宙にあり得ることだからこのようなこともゼロではないでしょう。
しかし、宮崎氏の「ナウシカ」を読み返してアセンションの真理を考え直します。
即身成仏とは生きながらにして仏(ほとけ)になることです。

即身成仏:
「永くまったかいがありましたね
ええ、風が来ました。やさしく猛々しい風が・・・」

ナウシカに会って心穏やかな即身成仏たちは肉体を離れていきます。
「滅びは必然」と言いながらナウシカに希望を見たのです。
旧約聖書ヨハネの黙示録や仏教における弥勒菩薩救済説が存在している理由は同じようなことなのかもしれません。
予言があって予言に近いことが起こっていくのか、
予言の基となることが過去にあったから未来にも存在しているのか、
いずれにしても「創造」「保守」「破壊」の流れの中にいるには変わりありません。
アセンションとはまさに「破壊」の中に入っていることと言えましょう。
「破壊」という流れの中から建設的に思考し行動する「ナウシカ」はそれを教えてくれます。

 

そんなナウシカも人間のあまりな愚行と他の生命体である蟲たちの犠牲的な愛の行為に心がつぶれそうになります。
私はFBをしています。
TVや新聞では見られないいろいろな情報やニュースを知ることができます。
しかし戦争で犠牲になった小さい子供たちの画像を見てしまいました。
また反日活動で秋田犬を日本に見立ててなぶり殺しにしている画像も見てしまいました。
人間の争いのために犠牲になった犬・・・
なぜ日本の変わりに「犬」が殺されなくてはならないのでしょうか・・・
私はたまらない悲しみと怒りに襲われました。

以下再びナウシカから

ナニモノか:
「永い浄化の時が始まったのです
すべてが予定どおり進んでいるのです・・・・・・
ずっと昔から決まっていました
私たち呪われた種族は焼きつくされ新しい世界が生まれます」

ナウシカ:
「もう道はないのでしょうか?」

ナニモノか:
「滅びを恐れることはありません
おいで平安な世界へ」

ここで漫画の「絵」はナウシカの胸が光だします

ナニモノか:
「なんだね、その光は?
はやく捨てなさい 死者が甦る!」

ナウシカ:
「だめなの 光っているのは私の胸だもの」
「おまえは上人さまじゃない!!」
「人を喰らう虚無だ」
「されっ!!」

上記の即身成仏のようなイメージで登場したナニモノかは「虚無」だったのです。
2012年冬至に何も起こらなかったことで、がっかりされた人もいるでしょう。
今の生活や人類に幻滅し、この辛い3次元が続くことより魂になってアセンションしたい人もいたかもしれません。
現実に目を向ければ暗いニュースばかりで心の灯が「虚無」に食べられそうになります。
一度は「虚無」から抜けたナウシカでしたが再び、愚かな人間の戦争のために
死んでいく王蟲たち(他の生命体)の犠牲的な愛とともに自分も逝こうとします。

ナウシカ:
「もう何もかも手おくれだ」
「ここが私の旅の終わりだろうか」
「こんなに世界は美しいのに」
「こんなに世界は輝いているのに・・・」

しかし王蟲はナウシカの命を繋ぎます。
ナウシカ自身が「生きる」意志があるかどうか問われます。
「死」の淵は浄化された世界でした。
土鬼の皇帝はここで成仏していきますがナウシカはこの世に戻ってきます。
この世界は肉体を失った魂が成仏していく比喩の1つとして書かれたのではと思います。
ナウシカの心の中の次元として描かれています。
土鬼の皇帝はしがらみをすべて捨てて光の世界へ入っていきました。
もし、死んでしまったらいける世界なのかもしれないですが、
生きている私たちが「今」目指す世界ではないのです。
死んで5次元に行けるのがアセンションというのは幻でしょう。

さらに今度は3次元世界で同じような成仏した世界が現れます。
この世界は高度な技術で人工的に作られた世界でした。
トルメキアの2人の王子はこの世界の一部になっていきます。
大好きなピアノを演奏しながら、本人たちは全く気が付かないうちに平和な庭の一部に化していくのです。
生きながらにしてなるので即身成仏になる過程を省いて成仏するようなイメージです。
よく宮崎氏はこんな世界を考えたなぁと思いますが、
人間が想像することはあり得ることなのでどこかの星かもしくは過去の地球にあったのかもしれません。
眠りながら死にゆき平穏な世界に入るイメージです。

庭の主:
「そなた達人間はあきることなく同じ道を歩み続ける」
「何度もくり返された道を」
「みな自分だけは誤ちをしないと信じながら 業が業を生み悲しみが悲しみを作る輪から抜け出せない」
「この庭はすべてをたちきる場所」
「そなたのしようとしていることはもう何度も人間がくり返して来たことなんだよ」

ここで大きな秘密に触れます。
それは前述のブログにも書きましたがナウシカたちがDNAを操作された人類であったことです。

ナウシカ:
「永い間の疑問でした
世界を清浄と汚濁に分けてしまっては何も見えないのではないかと・・・」
「浄化された世界に私達は憧れてもそこでは生きられない
あなたは素から変わったとそういいました
自然に生まれた耐性ではなく人間が自分の意志で変えたのですね?」
真実に気づいたナウシカは平穏な世界から我に返ります。
以下前述ブログより


「ナウシカ」に出てくる腐海(ふかい)は、
人体に有毒な胞子を飛ばす巨大なキノコ類の森です。
映画版では、センセーショナルな登場をする巨大な虫、王蟲(おーむ)を始めとする生態系が腐海の中に在ります。
ナウシカは、腐海の樹木が綺麗な土と水の環境でなら、有毒な胞子(瘴気(しょうき))を飛ばさないことに気が付きます。
腐海は、清浄な空気と土を再生させるために生まれたものだったからです。

それが人為的であったと解るのは、最終巻(第7巻)で、旧人類の智慧の宝庫、土鬼(ドルク)の墓所を開けてからです。
映画版では明かされなかった衝撃的な秘密…
それは腐海も王蟲もすべて、旧人類の人工的な産物だったということです。
なんのために…
ぼろぼろになってしまった地球を浄化するためにです。
しかしここでもっと驚くことは人類の人体さえも、汚れた環境に合わせて作りかえられていたということです。

物語では、ナウシカを始めとする人類は、マスクを着けていても有毒な瘴気(しょうき)の環境にあるため、人体に毒素が溜まっていきます。
ナウシカは11番目の子供として生まれ、10人の兄姉の犠牲の上に育っていきます。
母体の毒素を吸って子が生まれるため育たなかったり、老いとともに手が石化して動かなくなる「生」を彼らは生きています。
その身体でさえ旧人類が高度な技術によって適応させたものだったのです。
汚染された地球の生態系に手を加え、それに適応した人体をも産み出していたのです。

私たちのDNAはどこかで何度か操作されてきました。
以下ブログから抜粋
<「あなたはどの星から来たのか」と「生命と宇宙」>No.201
http://nakagawaharumi.jp/?p=2242

「生命と宇宙」より抜粋

1971年頃は盛んに情報理論の研究をしていて人間のDNAの情報を漢字仮名交じりの和文にすれば7億字になると計算しました。
これは400字詰めの原稿用紙にして175万枚の文章量になります。
このように巨大な情報が米粒の60億分の1の小さな空間に含まれます。
・・・
ごく簡単な蛋白質でも偶然だけで発生する確率は毎秒500兆回振ったとしても
10の242乗億年もかかる見込みですから不可能といってよいという結論です。
ましてDNAのように複雑な蛋白質は論外というべきでしょう。

古生物学者を悩ませるミッシングリングがあるのはDNA操作に介入した存在がいるからではないでしょうか・・・?
果たしてその存在とはカミサマと呼ぶ存在なのでしょうか・・・?
それとも私たち人類の祖であるナニモノかなのでしょうか・・・?
生きながらにして成仏してしまう「庭」から抜け出したナウシカは
森とともに生きる種族、森の人セルムと「自然」と「生命」について考えます。
ナウシカ:
「千年前 人間は絶望の淵にあったのでしょう
必至に人々は希望を見つけようと努力した・・・
生態系をつくり生物をつくりかえる技はこの庭の維持にいまも生きています
計画では今は再生への道程のはずでした
けれど現実には愚行はやまず
虚無と絶望は更に拡がっています」

森の人セルム:
「あなたの考えは私達の一族を根底からゆるがします
森はひとつの聖なる生命体と私達は感じてきました」
ナウシカ:
「わたしはいまもそう感じています
たとえどんなきっかけで生まれようと生命(いのち)は同じです」
「精神の偉大さは苦悩の深さによって決まるんです」
「生命はどんなに小さくとも外なる宇宙を内なる宇宙に持つのです」

 

画像は、ミクロの世界からマクロの世界まで、中心にブラックホールが存在するとするものです。
科学的なブラックホールというよりこのイメージから解ることがあります。
この超微細な中心は、細胞の中心にも、銀河の中心にも、私たちの中心にも存在していてすべてと繋がっています。
ブラックホールだとしているこの画像からは「空」をイメージできます。
この「空」なる世界は、超次元の世界(一般的な12次元より上)、素粒子を生み出す世界、宇宙の大いなる意志の世界ではないかと考えます。
「空」に表される大いなる宇宙の意志は、宇宙の果てへと遠く、
そして自らの身体の一番奥の中心に存在して繋がっていますので、ナウシカの言葉の通りなのです。

ナウシカ:
「どんなにみじめな生命であっても生命はそれ自体の力によって生きています
この星はそれ自体が奇跡なのです
世界の再建を計画した者達が・・・すべてを予定していたというのでしょうか

ちがう
私の中で何かがちがうとはげしく叫びます」

私たち人類を造った存在は、どこまで人類の未来を解っていたのでしょうか・・・
創造、保守、破壊の流れとともに、70億の人類が地球を壊す前に自滅するように予言があるのでしょうか
アセンションとは重ねあわされた幻影なのでしょうか

ちがう
私の中で何かがちがうと激しく叫びます。
ナウシカと同じです。
再びブログより


千年の時を経て浄化され、その役目を終えた腐海や蟲たちは、全て滅んでいくようにも設定されていました。
清浄な地球に戻ったときに再生するように綺麗な(ナウシカたちのように造り変えられていない)人間の卵もありました。
汚染された環境に適応できるように造り変えられてしまったナウシカたちの人体も綺麗に戻す方法もありました。
しかしナウシカは叫び、これらをすべて巨神兵と共に破壊してしまいます。

「私達の身体が人工で作り変えられていても
私達の生命は私達のものだ。生命は生命の力で生きている。」
「生きることとは変わることだ。」

「なぜ気づかなかったのだろう。
清浄と汚濁こそ生命だということに、苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。
それは人間の一部だから…
だからこそ苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに」

前回のブログの最後の引用です。
ナウシカのブログを書いて2年が過ぎました。
東日本大震災を経験し、外国からさまざま形で、攻めを受けている我が日本・・・
「ナウシカ」は日本人の象徴です。
「風の谷」は「日本国」の象徴です。
大国のトルメキアや土鬼(ドルク)の大戦争に巻き込まれながらも愚かな戦争を止めようと努めます。
そしてナウシカは女性ながら剣の手練れで自分の身は自分で護れます。
戦争は絶対に避けなければなりません。
今日、剣をふるうことはありませんが私たちは日本人としての誇りと
戦争に巻き込まれない強い「心」を持っていかねばなりません。

私の認識するアセンションは2013年が中心であとまだ100年くらいは続きます。
私たちのDNAは、それを造った者たちを超えて今変化しています。
生きているからです。
生きてきたからです。
画像はイメージですが目に見えない高次元の自己とDNAの螺旋で結ばれていきます。
これは失われた能力(直観)が再び強化されるようになります。
日本にはたくさんの神仏が居ますことを今一度思い出して・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風の谷のナウシカ」は、1984年映画版が有名ですが、
1982年より宮崎駿氏(1941年山羊座生まれ)41歳のときから
マンガ雑誌「アニメージュ」に連載を始めて約11年間、
1994年53歳のときに完結した映画版の基となった漫画版があります。
発売とほとんど同時に購入して読んでいました。
(残念ながら1巻2巻は初版本ではないのですが、
3巻~7巻は初版本を所有しています)
漫画版の方が深く複雑ですが特に、
映画と漫画ではラスト(終焉)が全く違います。
映画化された部分は漫画版全7巻のうち、2巻前半までの内容に
手を加えた形になっています。

(第4巻付随ミニポスター)

前述、<あけましておめでとうございます>No.119には、
http://nakagawaharumi.jp/?p=1000
http://ameblo.jp/haruminakagawa/day-20110104.html
村上もとか氏の「龍」に関して書きましたが、
「風の谷のナウシカ」も「龍」と同様、戦争が背景になっています。
大きな違いは、「龍」は歴史SFで過去のことですが、
「ナウシカ」は38世紀のずっと先の未来です。

 
ちょっと触れましたが、「フェイバレット」
<20世紀少年と、恐竜展&映画ソルトへ>No.24
http://nakagawaharumi.jp/?p=794
http://ameblo.jp/haruminakagawa/day-20100907.html
映画「ソルト」では、
主演のアンジェリーナ・ジョーリーがスパイを演じ、
北朝鮮や中東も絡んでくるアメリカとロシアのスパイ合戦のお話です。

 
また私は、さいとうたかを氏(1936年蠍座生まれ)の
漫画「ゴルゴ13」を読み続けて40年近く経ちました。
歴史の一部を「ゴルゴ13」で勉強させていただきました。
「ファイバレット」
<ゴルゴ13に学ぶ>No.4
http://nakagawaharumi.jp/?p=572
<ゴルゴ13に学ぶ2>No.7
http://nakagawaharumi.jp/?p=566
ゴルゴ13の初期作品は、米ソ冷戦時代のお話が多く、
映画「007シリーズ」に似たような色もありました。
しかし今日、米ソ冷戦=スパイ合戦はもう終わっているはず…?
と能天気な日本人の多聞にもれず私も思っていました。
去年(2010年9月)「ソルト」を見ていて、
今まだ、アメリカとロシアはスパイ合戦をしているのか、
というのが不思議であると共に、実にリアルに感じ怖くなりました。 

 
北方領土問題、尖閣諸島問題、沖縄基地問題、拉致問題など、
日本が抱えている火だねが浮上する今日、ニュースを見ていると
戦争経験者の昭和ひとケタを親に持つ私ですが、
生きている間に日本が戦争に巻き込まれることはまずないと、
思っていたはずが、そう言い切れない不安に襲われました。

 
シュメール以前、存在していたと言われる古代文明の
アトランティスとレムリアは、アトランティスがレムリアを攻めて
両方とも滅んだと言われる説があります。
現在、飛行機が行方不明になることで有名な
「魔の三角地帯」と呼ばれるバミューダ海域は、
あり得ない量の放射能が検出されているそうです。
古代に核兵器が使用されたと論じる著書も数多く出ています。

 
 
かつて、地球の政権を恐竜は、2億年も担っていました。
前述の<20世紀少年と、恐竜展&映画ソルトへ>にも書きましたが、
「サインズ」<2036年 アポフィス>No.98
http://nakagawaharumi.jp/?p=774
http://ameblo.jp/haruminakagawa/day-20100827.html
恐竜は隕石によって滅んだとされますが、
自ら核兵器を使ったわけではないので、2億年も存在できたのかもしれません。

 

映画「ソルト」でも現在の核兵器をめぐってのスパイ合戦でしたし、
漫画「龍」も古代の核兵器(秘宝)を廻って第二次大戦中が描かれています。
「ナウシカ」では、核兵器を装備した巨神兵が登場します。
28世紀(西暦2700年代)「火の7日間」に、たくさんの巨神兵が、
使われ人類は地球もろともぼろぼろになります。
その1000年後の38世紀(西暦3700年代)、1体だけ埋もれて残っていた巨神兵を、
映画版では、トルメキアの王女クシャナが兵器として使いますが、
漫画版では、ナウシカが巨神兵の母となって共に行動します。
(漫画版のクシャナはもっと高貴でタフであり、真の王道を生きます。)

「ナウシカ」は、宮崎さんのリアルな思考に基ずいたSFですが、
創造力というより、人類のアカシック(レコード)から、
未来をあるいは過去をダウンロードしたのではないかと思うほどです。

「ナウシカ」に出てくる腐海(ふかい)は、
人体に有毒な胞子を飛ばす巨大なキノコ類の森です。
映画版では、センセーショナルな登場をする巨大な虫、
王蟲(おーむ)を始めとする生態系が腐海の中に在ります。
ナウシカは、腐海の樹木が綺麗な土と水の環境でなら、
有毒な胞子(瘴気(しょうき))を飛ばさないことに気が付きます。
腐海は、清浄な空気と土を再生させるために生まれたものだったからです。

 

それが人為的であったと解るのは、最終巻(第7巻)で、
旧人類の智慧の宝庫、土鬼(ドルク)の墓所を開けてからです。
映画版では明かされなかった衝撃的な秘密…
それは腐海も王蟲もすべて、旧人類の人工的な産物だったということです。
なんのために…
核兵器を使用しすぎて、
ぼろぼろになってしまった地球を浄化するためにです。
しかしここでもっと驚くことは、人類の人体さえも、
汚れた環境に合わせて作りかえられていたということです。
 

 
物語では、ナウシカを始めとする人類は、マスクを着けていても、
有毒な瘴気(しょうき)の環境にあるため、人体に毒素が溜まっていきます。
ナウシカは11番目の子供として生まれ、
10人の兄姉の犠牲の上に育っていきます。
母体の毒素を吸って子が生まれるため育たなかったり、
老いとともに手が石化して動かなくなる「生」を彼らは生きています。
その人体でさえ、旧人類が高度な技術によって、適応させたものだったのです。
汚染された地球の生態系に手を加え、
それに適応した人体をも産み出していたのです。
 
ナウシカは森の人、セルムに言います。
 

「闇は私の中にもあります。
この森が私の内なる森ならあの砂漠もまた私のもの、
だとしたらこの者はすでに私の一部です。」

 
そして、宿業深き土鬼(ドルク)の皇帝を成仏させてしまいます。
 
 
「あなたは生命の流れの中に身をおかれています。
私はひとつひとつの生命とかかわってしまう…
私はこちらの世界の人達を愛しすぎているのです。
人間の汚した、たそがれの世界で私は生きていきます。」

 
セルムたち森の人は、火を捨て腐海という自然に中に生きる種族です。
一方、ナウシカは人間らしい暮らしを
忘れていない「風の谷」に生きてきました。
ナウシカは戦争に備えて凄腕の剣士でもありました。

「火の7日間」という最終戦争は28世紀(2700年代)に起こりますが、
「ナウシカ」が登場する38世紀(3700年代)まで1000年の月日が流れています。
最終戦争を起こした旧人類とは、まさに私たちの未来です。
宮崎さんが「ナウシカ」を描いていたのは、20世紀(1982年~1994年)最後でした。
現在、21世紀(2011年)ですが後700年くらい先の、
今の文明の集大成を描いたのです。

日本に原爆が投下されたのが1945年です。
まだたったの数10年しか経っていないのです。
現在、核所有国は、核兵器が抑止力だと言う見解ですが、
一歩間違えて使用したら地球そのものが壊れてしまいます。
映画「ソルト」はその様子がリアルでした。

 
また、
<プラネタリウム 六本木ヒルズと科学未来館>No.115
http://nakagawaharumi.jp/?p=935
にちょっと触れましたが、
地球に今まではあり得ないから宇宙存在?かと騒がれた
ヒ素を取り込む(食べる)バクテリアが発見されNASAが発表しました。
DNAを始めとする生物の研究は益々進むでしょう。
がん細胞を攻撃するリンパ球を自身から採取して培養し、
人体にまた戻す免疫療法など役立つ医療技術が向上している半面、
クローンを生みだすこともできるようになりました。
何が…、何処までが…、
「神の領域」なのかは、私には解りません。
「神」の定義は難しいからです。
 
私が小さい頃(1960年代)、オゾンホールはありませんでした。
(オゾンホールは1970年代前半に発生したとされている)
小学生の頃、海に行けば太陽(紫外線)は柔らかで、
日焼けしても、心配なほどではありませんでした。
またアトピーという言葉も一般的に浸透していませんでした。
それでも…
核兵器を使用せずとも、日に日に環境は汚染されてきました。
そして、汚染された空気や水の中でも、
生物は適用して生きようとします。
私たち人間も例外ではありません。
 
宮崎さんが視た私たちのなれの果てが、
SFであるナウシカに登場する
巨神兵、腐海の生態系、ヒドラ(人造人間)を
作りだしてもおかしくはないのです。

 
「たとえどんなきっかけで生まれようと生命(いのち)は同じです。
生命はどんなに小さくとも外なる宇宙を内なる宇宙に持つのです。
精神の偉大さは苦悩の深さによって決まるのです」
 
人工的に造られた生命に対してにさえ、放ったナウシカの言葉です。

 

千年の時を経て浄化され、その役目を終えた腐海や蟲たちは、
全て滅んでいくようにも設定されていました。
清浄な地球に戻ったときに再生するように
綺麗な(ナウシカたちのように造り変えられていない)人間の卵もありました。
汚染された環境に適応できるように造り変えられてしまった
ナウシカたちの人体も綺麗に戻す方法もありました。
 
しかしナウシカは叫び、
これらをすべて巨神兵と共に破壊してしまいます。

 

(第6巻付随ミニポスター)
 
 

「私達の身体が人工で作り変えられていても
私達の生命は私達のものだ。生命は生命の力で生きている。」

 

「生きることとは変わることだ。」

 
「なぜ気づかなかったのだろう。清浄と汚濁こそ生命だということに、
苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。
それは人間の一部だから…
だからこそ苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに」

 
 
ナウシカは墓所の番人ヒドラ(人造人間)と対峙します。
このラストは、1977年~1980年「月刊マンガ少年」に連載された
竹宮恵子氏(1950年水瓶座生まれ)のSF作品「地球へ…(テラへ)」に似ています。
「テラへ…」では、ミュー(次世代の超能力を持った新人種)が、
支配から逃れるべく全てを統べコントロールしてきた
コンピュータ「マザー」を破壊します。
しかしそのような事態を予想して平和を取り戻すようセットされていた
別のコンピュータ「地球テラ」をさらに地底に見つけます。
そして、マグマの流れさえ制御できるコンピュータ「テラ」をも止めてしまいます。
制御を失った地球は、到る所で噴火して天変地異が起こり始めます。
全てが破壊された世界に敵対していた人類とミュー(新人類)が、
共に生きていくラストへと繋がります。

 
 
竹宮さんのこの作品は「ナウシカ」より古いものです。
宮崎さん同様、竹宮さんも
人類のアカシックからダウンロードしていたのでしょうか…

 
もうひとつ似ている作品を紹介しましょう。
樹なつみ(いつきなつみ)氏(1960年水瓶座生まれ)の
SF作品「獣王星」(1993年~2003年連載)にも共通するところがあります。
とくにこの作品は映画「アバター」に類似するところがあり、
私は「アバター」を観たときに、樹さんの「獣王星」を思い出しました。
「獣王星」はアニメ化もされており、
堂本光一くんが声優として出演していた記憶があります。
「獣王星」でも人為的に星(天体)を制御していた装置「ボール」を
人智を超えた植物「ベラ・ソナー」が破壊します。
植物ベラ・ソナーが「星」の意思のように描かれています。

 
 
再び、ナウシカと墓所の主(ぬし)との最後の対話です。
 
 
「人類はわたしなしには滅びる」…

 
「それはこの星が決めること」

 

そう…
悠久のときを経て、地球が決めることなのでしょう。 

 

「いのちは闇の中のまたたく光だ」

 
「すべては闇から生まれ闇に帰る」

 
 
私たちは「闇」から生まれたのでしょうか…?

 
御魂(神仏)を宿している人間を「光」の存在だと、
性善説的なことを信じている私には衝撃的な言葉です。
でも戦争を繰り返し、同じ悲しみを何度も味わう人類は、
もしかしたら、闇から生まれたのかもしれません。

 

 
「生きねば」

 
「風の谷のナウシカ」漫画版最終巻最後の1コマの言葉です。

 
私たちは…
生きねばならないのです。

 
そして「光」にばかり目を向けずに
「闇」にも向き合わないとならないのだと思います。

(第5巻付随ミニポスター) 
  
  
 
 

浦沢直樹氏作漫画「20世紀少年」の主人公たちは、
私と同じ1959年亥(いのしし)年生まれである。
今日は、同じ1959年生まれで、幼稚園年少組(4歳)からの友人、
裕子ちゃんと六本木ヒルズにアンジェリーナ・ジョリー主演映画「ソルト」と
タワー52階に展示されている恐竜展(9月29日まで)を観てきた。
 
wikiで調べたら浦沢氏は、
中学3年のときに好きだったNくんと誕生日が1日違いだった~
裕子ちゃんとは、幼稚園3年間が同じクラス、
小学校は4年生~6年生が同じクラス、
中学校は中3の時だけ同じクラスである。
幼稚園も小学校も中学校も卒業式は
同じクラスなので節目節目のご縁である。

唐沢寿明氏ファンの裕子ちゃんは、
「20世紀少年」の映画3部作をすでに観ていたが、
漫画は読んだことがないというので現在、貸している。
この漫画に色濃く出てくるエキスポ70「大阪万博」に
裕子ちゃんは行かなかったそうだが、
私は夏休み前に学校を休んで大阪に連れて行ってもらった。
アメリカ館で「月の石」も観たし、太陽の塔の中にも入った。
父と母、弟と3泊くらいして万博会場を廻ったが、
好奇心と未来への期待で全部観たいのに、
人気の館は3、4時間は並ばないと入れない。
それ以来、私と弟の共通語がある。
「足がバンパク」
もうこれ以上疲れて歩けない…という意味である。
 
「20世紀少年」は漫画の方が複雑でリアリティ性がずっと高い。
ただよくピッタリの俳優をキャラクターに選んだな、と関心はするが、
主人公、遠藤健児役の唐沢くんはイイ男過ぎで、
ラフさと陽気さに欠けていると思った。
裕子ちゃんと私は女子で二人だけ男子を相手に喧嘩もした仲間である。
 
男子の中で私の天敵だったMくんは、
今やエリート中のエリートで某一流企業で出世を続けているらしい。
Mくんは唐沢敏明似で裕子ちゃんとは仲がいい。
(私とはきっと今も合わかな)

同い年(アラフィフ)ならではの話しをしながら、
アンジェリーナ・ジョリー主演「ソルト」を観た。
この話しは、実は危険なほどにリアリティがある。
そう感じたのは私だけだろうか…
完結していないので何話か続きそうだ。期待を裏切らないでほしい。
「20世紀少年」の漫画版もそうだが、
リアリティ性の高いものほど関係性は複雑だが、動機はシンプルなのである。
 
「サインズ」<ハジマリの始まり>No.99
http://nakagawaharumi.jp/?p=782
にちょっと追加した。
私の前世に書き忘れていたものが2つあった。
YR先生にいくつも観て貰ったときに、
直前の前世は江戸時代、
どこぞの殿の側室で籠の中の鳥のような人生だったそうだ。
(今より美人と言われた)
そしてもう1つ、イギリスだったと思うが、
甲冑をつけ剣をまとった女戦士の前世があったのだ。
まるでジャンヌ・ダルクのようだとYR先生が霊視した。
私のキャラは強い女性の前世が多いのだ。
なぜ、女性なのだ?
強いのなら中国の武士の時のようにずっと男性でいた方が楽なのに…
女性ならお姫さまみたいに護られる方がいいのに…
(そう思って直前の前世は側室だったのか・・・)
 
アンジェリーナの格好よさやタフさ、その中にある女らしさを観ていると
強い女のキャラもいいかと思ってしまう。
だが私のキャラは戦士だけでなく魔法使いの要素も入っているのでややこしい。
魔法使いというより魔女なのか、
スピリチュアル関係の仕事をしていると「魔女みたい」はほめ言葉だそうだ。
私は魔女より戦士の方が好きだが、単純な戦士になりきれないのも事実である。
裕子ちゃんは現在、高校生のお嬢さんがいて、しっかりした旦那さまもいるが、
彼女もお姫さまのキャラではないね~
だって一緒に基地作って男子と決闘してたんだから(笑)
それに私より運動神経がいいからアンジェリーナに近い?
 

前述<2036年 アポフィス>
http://nakagawaharumi.jp/?p=774
に恐竜のことを書いた。
実は、ヒルズタワー52階「恐竜展」を観に行ってから書きたいと思っていたのだが、
夏休みは混んでいるし開催期間に行けないと思ったので先にアップした。
 
(写真は裕子ちゃんです。自分以外の人物を初めてアップします)

恐竜が地球の政権を担っていたのは実に2億年近くもあるのである。
現在の人類の歴史は、検証されていない古代文明
(例えば、ムーやアトランティス)があったとしても
数万年にも満たないのではないだろうか…
初期の人類である猿人は600万年前から130万年前まで生息していたらしい。
恐竜が闊歩していた期間とは桁が違うのである。


滅んでしまった古代文明のことも思いつつ、裕子ちゃんと恐竜展を廻った。
NHKが製作した精密なCG映像を到る所で観れるので恐竜ファンにはお奨めである。

連載以来、ゴルゴ様(ゴルゴ13)の他にずっと愛読し続けてきた漫画がもう一つある。
「花のあすか組」、「新・花のあすか組!」である。

「花のあすか組」は高口里純氏(女性、1957年天秤座生)の代表作品で1985年〜1995年に「月刊Asuka」(角川書店)と「別冊あすか」に連載された。コミックスは全27巻、外伝全6巻、番外編全1巻、小説外伝全1巻が刊行されている。TVドラマや映画化もされているが私は漫画しか読んでいない。
「新・花のあすか組!」は2003年〜2009年まで書きおろしで刊行されてきた。アマゾンで買いつつ、先日、8巻目を読んで満喫したところである。
「新・花のあすか組!」は舞台を現在に変えての展開で、渋谷繁華街地下の女子中学生同士の携帯バトルなど面白い。
(もちろん、あり得そうであり得ないからSFと同じなのです)

高口氏の他の作品に「ロンタイBABY」がある。「ロンタイBABY」の主人公たちは高口氏彼女自身と同じ1957年生まれである。当時の硬派不良?の筋を通すお話である。
また浦澤直樹氏(1960年山羊座生)の作品「20世紀少年」のケンジ始め主人公たちは1959年(亥年)生まれで、浦澤氏は1960年生まれであるが1月の山羊座なので私と同じ学年になる。これらは、自分と同じ年齢で主人公を描き、舞台を現代の日本に設定しながら究極のSFを作り出している。
私たちの世代は団塊の世代より一回りくらい下であり、バブル期には20代後半であったので、比較的強烈な生きにくい時期は避けてこられた世代と言える。
しかしこの世代の特徴として、革命を起こす不穏分子が多く、50代のニュータイプと呼ぶにふさわしい人が多い。

天王星は公転周期が約84年なので1つの星座(サイン)を約7年で通過する。
天王星の滞在する星座から世代の特徴を視ることができる。
約1955年〜1962年まで天王星はディグニティの悪い獅子座に位置している。
世代の特徴として組織的な体制が苦手でありながら、頭角を現し突起した存在になり、さらに最後は頂点の存在と組織を一新する闘争になる象意が強い。

ちなみに天王星が、乙女座在中は約1962年〜1969年生まれで、バブル期全盛期に成人した世代であり、双子座在中の約1942年〜1948年生まれ(団塊世代含む)とは相性が悪い。団塊世代は、双子座天王星の影響から仲間意識が強く組織の結束も高いが、バブル成人世代は乙女座天王星の影響から「実」に重きをおき、労働の在り方に革命を起こすあらゆる業種のベンチャーの先駆けである。天王星の波動が全く違う世代同士なので俗に相容れない批評も多い。

天王星が蟹座在中の約1948年〜1955年生まれは、愛社精神があり、学閥派閥意識が強く卒業校のOB会などにも熱心だったりする。団塊世代を影から支える地味な実力者が多い。一方、天秤座在中の約1969年〜1974年生まれは組織への適応力が高いが、保守的な蟹座在中の世代とは相性が悪い。
世代の持つそれぞれの天王星の波動(質とパワー)が社会組織(システム)の在り方を通して時代を作ってきたのである。
また天王星の在中星座は親子の相性を視るときにも使える。

話しを天王星が獅子座の私の世代と「あすか」に戻そう。
高口氏の女子硬派世界は、同世代である私が体感してきた世界の究極のSFである。
「全中裏」なる闇の完全なるヒエラルキー組織、そこに風雲をもたらす「あすか」…
「ともだち」の支配下にある近未来の日本、そこに風雲をもたらす「ケンジ」たち…
「戦う」という表現がピッタリなのに、本人たちは戦っている感覚ではないのだ。

「あすか」を読んでいると、こみ上げてくるものがある。
「フェイバレット」<少女漫画>No.3にも書いたが「あすか」の名セリフがある。
「あたしはただ、命を燃やしているだけさ」…
この一言に生き方すべてが込められている。
高口氏はクールな天秤座生まれであるが真反対の熱い牡羊座的要素が強い。
他でも書いたが対極の星座は「似て非なるもの」同士であるが、同じ要素を共有する。
コミック外伝で登場人物の生まれ星座が紹介されていたが、主人公「あすか」と親友「ミコ」は決められていなかった。
でも私は「あすか」は高口氏と同じ天秤座生まれであろうな、と思いながら読んできた。

完全なるヒエラルキー(階層)組織「全中裏」に関わる人物たちは、「あすか」より下の存在も、上の存在も、また別組織の長たちも、「あすか」の真っ直ぐな言葉と眼差しに、心を打たれて、心を奪われていく。
テーマは「友達」「仲間」「同士」…
「恋愛」は二の次で「友達」、真の「友情」とは…を問う。
「20世紀少年」の「ともだち」…とダブるところがある。

天王星の本来の座は水瓶座である。
水瓶座は友愛(友情)を象徴する。
(友愛で有名な鳩山由紀夫氏も水瓶座生です)
天王星が真反対の獅子座にいるこの世代は「友情」に関して深く考えるのだ。
確かに私も恋人がいないのは全く平気だが、友達がいなかったら孤独で耐えられないと思う。獅子座はさみしがり屋なのである。
たった一人でいい、その時の私の理解者がいれば…といつも思ってきた。
でも今は、「理解者」ではなくて「応援者」でも充分だと思っている。
人が人を深く理解することは難しく、求めれば求めるほど限りがない。
でも愛を持って応援することはできる。
去年は特に応援してくれる人たちの暖かさが身にしみた。

そして友達とは、対等に力を分けてくれる存在だと、「あすか」の世界では描かれている。
ヒエラルキーな世界にいるからこそ解る、上も下もない対等な者たち…
さらに年齢も、そして男も女も関係ないから、「あすか」に登場する主要人物たちは、みんな女子なのに腕っぷしもよく、考え方もクールで男っぽい。
中学生同士なので殺し合いにはならないが、格闘シーンが多く「全中裏」には格闘技の有段者が数多くいる。女子中学生の組織に有段者がたくさんいるのだ。あり得そうであり得ないから究極のSFなのである。

「あすか」は有段者ではないが心身ともに強い。
魅力的な登場人物が多い中、やはり私は「あすか」が好きだ。
「あすか」のように信念と志を持っていたいと思う。

2年前(2007年)、ドラマは滅多に見ないのに、チャンネルを回しがてら目が留まってしまったドラマがある。NHK土曜ドラマ「ハゲタカ」である。しかし私が見たのは最終回。(その後借りて全6話観ました)
主演の大森南朋(おおもりなお)さんがあまりにカッコイイのもあって、(実はとてもタイプです。名前も同じなお)、ずっと心に残っていた。
今年、映画化されてまだ病気の方は静養中にも関わらず、先月6月Mちゃんを誘って映画版「ハゲタカ」を無理して観にいった。

「ハゲタカ」冒頭と最後のナレーション・・・
人生の悲劇は2つしかない
ひとつは金のない悲劇、もう1つは金のある悲劇・・・

3次元的には最な現象である。
「お金」とは・・・いったい何なのか・・・
去年、ベンチャービジネスの社長さんたちとたくさん知り合う機会を得て、タロットリーディングでいくつかの会社のコンサルタントをやらせていただいた。
そこで私は、「お金は想念である」とスピ系の代表としてお話しをさせていただいた。
1000円以上の紙幣は「紙」で出来ているが、500円以下のコインは「金属」である。
物質としての価値なら、「紙」と「金属」だったらどちらが高いだろうか・・・
以下は、経営者向けに作った私の会社パンフレットの内容からの抜粋である。


「お金」とは「想念」の現れの一つです。
物々交換だった時代から複雑になるにつれて、それぞれの「人」が、それぞれの「人」に対して行える能力、労力の結晶の代価として「お金」は生まれました。
「お金」自体は「紙」で食べられないし、通帳の上では「数字」に過ぎませんが、人類が共通に認識している「想念」ですから、大きな「お金」を持つことにより、あらゆるものが手に入るとされています。
アセンションによって、地球の意識が次元上昇していきます。
「人」の営みは一見変わらないでしょうが、大きく二極化されていくことになるでしょう。
目に見えない世界(多次元)を考慮した生き方をしていく人と、今までと同じ物質的な価値観のままで生きていく人、の二極化です。

例えば、良い品を安価で手に入れることができたとします。
物質的な面では「得」をしたことになりますが、目に見えない世界には「借り」を作っているかもしれません。本来は、「想念」と「想念」の交換ですから双方納得した代価で取引されるのが正しいからです。
しかし、その品の価値をきちんと理解して、単に「ラッキー」だという気持ちではなく「感謝」の気持ちを持つと、良い品を安く売ってくれた相手に通じますから、見えない世界に「借り」を作ることにならないのです。
逆に、良い品を安価で売った場合、「損」をした気分になってはいけないのです。
安く提供した分、その品が「本物」なら、必ずや目に見えない世界からの「恩恵」は何らかの形で返ってくるからです。「損」をした「想念」を持ってしまうと目に見えない世界からの「良いお返し」を防いでしまうのでそこで終わりです。
「お金」は「想念」ですから、気持ちの持ちようはその後の「運勢」に顕著に作用していきます。
これこそが、これからの地球での価値観の一つでしょう。

「お金」が「想念」だとしたら・・・、
「想念」とは・・・『心に浮かぶ考え。おもい』とある。(大辞林第二版より)
人は良いことばかりを考えないし思わない。
騙すような悪いことでもお金が集まるのは「想念」に善悪がないからである。
しかし誰しも御魂(神)が宿っているので、意識(顕在意識)では悪行をして何とも思わなくても、真我の意識(神意識)では罪の意識や後ろめたさを感じているのである。
その結果、これら内部の負の意識が積もり積もって、現実の世界に鏡のように写し出され、運命は変転していくのである。
また、「ただより高いものはない」という諺があるように、
一見、3次元的には「ただ」でも、多次元的には「ただではない」ので、何かをこれから支払わなくてはならないということに実はなっている。

「ハゲタカ」の内容は、まさにたくさんの人の想念の結集である「お金」を武器にした戦争、または「命」をかけたゲームである。
より多くの「お金」を集めることは、より多くの人の「想念」を引き寄せることだ。
「想念」には大きく2つあると言えよう。
1つは「欲望」、もう1つは「信念」である。
同じ欲望を持つ者同士は集まり、同じ信念を持つ者同士も集まるのである。
(「欲望」に関しては、<サインズ>「願望と欲望」No.9参照)

「ハゲタカ」では、「欲望」と「信念」が交差する。
企業の利得になることは「欲望」だろうか・・・「信念」だろうか・・・
企業存続のためにリストラを行うことは「欲望」の一環なのか、「信念」なのか、
実はとても難しい。
置かれた立場や環境によって変わるからである。
だが「お金」は潜在意識と同じでより強い想念、それも混じりっ気のない想念のところにより多く集まる。
欲望は欲望であって信念ではなかったと本人が意識した瞬間、お金は逃げていくだろう。

ドラマ版では、主人公の鷲津が、外資ファンドを辞めるときに、これまでの分配金として36億を受け取れば今後10年間、ファンドに関わる仕事ができないという条件をつき付けられる。
鷲津は「それは俺に死ねということだ」と、36億を受け取らないで辞める。
「ハゲタカ」と呼ばれる外資ファンド会社で数百億のお金を動かし会社に利益をもたらした男の信念(本音)である。
生きていくうえで自分に不要な想念(この場合は36億)は受け取ってはならないのである。
映画版「ハゲタカ」は、ドラマ版「ハゲタカ」の続きとしても楽しめるし、もちろん映画だけでも充分に見ごたえあった。(DVDが発売されたら是非、ご覧になって下さい)

お金がたくさんあれば、好きなことができるし、欲しいものがいつでも買える。
だがお金は、想念だから小さな器の人には大きなお金は入らない。
「1ヶ月で1億ずつ、1年間必ず好きに使って下さい。」
と言われたら、
あなたなら、どのように使えますか?
有効に使える術を知らなかったなら、後から必ずツケがくる。
大きなお金を使うことは大きなお金を儲けること以上にエネルギーが必要だからだ。

日本経済の不況の中、
生活保護も受けられない大変な人もたくさんいる。
お金がなければ医療も受けられない。
なぜ、そのような状況になってしまったのか・・・
自己の今の想念(意識)だけの問題と簡単には言えない。
だが、必死で働いて生きていく信念があれば、必ず道を開くことになるだろう。
お金は信念あるところにまた集まってくるからだ。

お金は人の想念、自分の想念の現われだから、大切に扱おう。
折らないように長財布の方が良く、長財布の色は、金色、黄色、茶色系が良い。
いつも多めに入れておこう。お金がお金を呼ぶ。
また金運の御守り以外は、お財布に御守りは入れてはいけない。
明るい想念とともに、あなたにお金が集まりますように・・・

1979年、「オフ・ザ・ウォール」でブレイクしたマイケルを聴きながら、私はまだハタチ・・・
渋谷、新宿、六本木、銀座のディスコへ通いだした幕開けの年である。
(歌舞伎町のディスコには19歳から通っていた!18時前の入店は、女性500円だった)
「OFF THE WALL」 このアルバムはすごい。
偉大な名プロデューサー、クインシー・ジョーンズの下、ラリー・カールトン、ジョージ・デューク、パティ・オースティン、そうそうたるメンバーが参加している。
マイケルは私より1つ年上の21歳。
2つ下の弟の部屋のドアに張られたポスターは、「オフ・ザ・ウォール」の等身大のマイケル。
カッコイイ黒い顔・・・
顔は変わってもダンスや歌声は変わらなかったけど・・・

器のあるものにはすべて(微弱であっても)意識が発生すると、これまで書いてきた。
3次元においては器の種類によって、キャラクターの性質が出来上がるから、
顔を変えると若干でも、性格が変わるはずである。

Michael Jacksonは、1958年8月29日乙女座生まれ。
そのちょっと前の8月16日には獅子座のMadonnaが生まれている。
太陽の位置はスピリット(Spirit)、月の位置はマインド(Mind)である。
西洋占星学では、太陽と月の星座や位置、アスペクトでその人の性格の約50%を占めていると視る。残りの約50%は、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の8天体の要素となる。
三省堂の辞書より妥当と思われる意味を抜粋してみると、
Spirit 『精神、霊魂、聖霊』
Mind 『記憶、考え、心、気質、知力、気分、気持ち』
私は日本語にすると、太陽は「魂」、月は「心」と表現している。

器(外見)が変わると、Mindが変わる。
お化粧も眉の描き方一つでその日の気分が変わると思う。
満ち欠けする月のように、人の心(Mind)は移ろいやすいものである。
マイケルは黒人でもなく白人でもなく、まさに陰陽調和された人種を目指して変わっていったのではないかと思う。

久しく聴いていなかったのに、マイケル三昧しているのは私だけではないだろう。
アルバム「Blood On The Dance Floor」から「HIStory」が最高だ!
マイケル!!たくさんのエネルギーをありがとう!
数十年に一人いるかいないかの天才スーパースター、
マイケル・ジャクソンさんのあの世での、ご開運をお祈り申し上げます。

「アセンションとは、地球の次元上昇である」とシンプルに書いてきた。
地球の意識が変わろうとしているので、人類の意識(想念)もそれに付いていかないと、ならないということなのである。実際、太陽が変化し(地球温暖化)、地球の環境が変わって人類にも大きな影響を及ぼしている。
それとも逆で太陽が変化するから、地球が変わらずに負えないのかもしれない。
これまでは、人類に対して「今のやり方(戦争、経済、権力、宗教、愛情)でいいですよ、まあ、今の想念でしょうがないですね、」と容認してきた地球自身が、「もう今のやり方や想念では駄目ですよ、」ということなのだ。それが、三次元物質世界にも、低層四次元にも、神仏のいる五次元以上にも影響して、目に見える世界と見えない世界で変化が起こっている。
次元の境目もなくなってきており、ニュータイプと呼ばれる人類が登場し、全く新しいやり方や価値観で動いている。この状況に気がついている人と、「そんなことはあり得ない、許せない」と気がつくことを放棄している人に、分かれている。

SF映画「地球が静止する日」を年末、Mちゃんと観た。(「レッドクリフ」はお正月観ました)「宇宙戦争」(2005年スティーブン・スピルバーグ監督作品、トム・クルーズ主演)と似たような内容に感じた。ただ人類に仕掛ける宇宙存在の理由が違うのと、最後の引き方が違っていたが、どちらもあり得ないSF映画であった。
SFだからって、あり得ないことを当然、と思ってはいけない。
SFは、ある程度あり得るお話だから面白いので、全くあり得ないと、つまらないのである。
宇宙存在もので一番、面白かったのは前にも書いたが、映画「コンタクト」(1997年作品、故カール・セーガン氏小説の映画化、ジュディ・フォスター主演)である。
宇宙存在がテーマとなっている最高のもので、「宇宙人とは然るべき!」のお手本のようなSF映画である。

では、どこがありえるSFで、どこがありえないSFなのか・・・
「宇宙戦争」も「地球が静止する日」」も「人類」と同じ三次元物質世界で、「宇宙存在」が堂々と現れて攻撃をしかける。「宇宙戦争」では、「人類」とさほど「魂」の発達の差のない攻撃的な「宇宙存在」なのに、「人類」より「科学」が発達していた。まず、これはあり得ない。
「魂」と「科学」の発達は、ある程度、同調しているのである。
「究極の科学」と「究極の哲学」は同じところに行き着くのである。

ここ500年足らずで今日の科学は急激に発達してきたのに、我々人類の「魂」(精神)があまりにも、それに付いてきてないから、地球が困っているのである。
例えば、今存在する核兵器を全部、使ってしまったら地球は確実に壊れてしまうだろう。
さすがにそこまで人類もバカではないので、今のところ起きていないが、人類に作用する細菌兵器は、腐るほど存在しているのである。

「地球が静止する日」では、「人類」より「魂」が発達していると思われる「宇宙存在」が登場する。彼らは「地球」のために「人類」を見放し、滅ぼす目的を持つ。
当然、「科学」も格段に発達している。
しかし、「地球」のために「人類」を滅ぼしたい高次元の存在があったとしても、同じ三次元で白昼堂々と、我々地球人同士の戦争のような形態を取ることはありえない。
発達した「魂」の高次元の存在には、「戦争」という形態はないのである。
もし人類が滅ぼされることになったとしても、目に見える形では、「自然淘汰」のような形態になっているはずである。
例えば、小松左京氏小説「復活の日」(1980年映画化)は、米ソ冷戦時代、細菌兵器が蔓延して人類が滅びそうになるSFである。人類が滅びなくてはならないとしたらこのように自滅的な、自然淘汰の形態で滅びてしまうだろう。

「コンタクト」にも、「人類」より「魂」も「科学」も発達した「宇宙存在」が登場する。
しかし、決して同じ次元にはいないし、発達した「魂」なので、攻撃を仕掛けるという発想がない。
これがあり得ないSFとあり得るSFの違いである。

ちまたのアセンション情報には、別な宇宙系である「プレアデス」「オリオン」「シリウス」「ベガ」などが登場する。かつての人類、レムリアやアトランティスも、これら「宇宙存在」の影響を受けたとされている。
「魂」的には土着の地球人(地球で生まれた魂で地球以外に生まれ変わっていない人)もいるであろう。だが、今の地球人類は、土着の地球人だけではないのだ。
「神仏」も地球の神仏(日本神界、他国の神仏、地球神そのもの)、宇宙から飛来して地球に根付いた神仏(日本神界にもいらっしゃる)、地球のアセンションの今だから地球に留まっている神仏がいらっしゃるのである。

例えば「プレアデス」からの「宇宙存在」は次元を超えてやって来ているのであって、お牛座散開星団プレアデスから約400光年かけて三次元物質宇宙を、宇宙船を飛ばして来ているのではないのである。
だが現段階において認識されている一般的な「科学」では次元を超えるという認識はないので、人類の「魂」の発達度もその程度ということになってしまう。
ここで、ニュータイプと呼ばれる人類が登場してきている。
(あなたも宇宙は、次元が違う場所だということが理解できますか?
科学の教科書で習ったこととは違うので、自分自身によく訊いてみて下さい。
ニュータイプの仲間入りができるか否かです〜)

林也敏先生のことを「サイン」<シャスタでの願い 具現化>に書かせていただいたが、林先生は完全なニュータイプである。
ニュータイプの特徴は、超人的な能力、新しい価値観と実行力を持っている人である。
そしてもちろん、高度な科学技術を扱える発達した「魂」の持ち主である。
ニュータイプの中には、別な宇宙存在からの「魂」が数多くいることだろう。
また、インディゴチルドレンと呼ばれる次世代を担う子供達がいる。
ニュータイプの「魂」を持った子供達なので、頭の固いオールドタイプの親は育てにくいので大変である。インディゴチルドレンたちは「我は何者か」を知っているし、特殊能力(霊能力など)を持っているのである。

地球とは、一番物質的な場所を有している基の星であって、そこから違う次元(宇宙)に自由自在に行き来が可能なのである。
三次元が物質宇宙の世界だとすれば、四次元、五次元、六次元・・・、と次元が変わっていく。
成仏していない霊がいるのが低層四次元である。この次元にいる低い宇宙存在(レプリティアンとの関連)も確認されているようだ。
五次元は守護霊や神仏の領域、神仏にも古さや大きさがあるようである。
例えば、日本神界の例で山田雅晴先生によると、○○○命(みこと)、○○○尊(そん)、○○○神(かみ)、○○○大神(おおかみ)、の順に同じお名前でも神仏として大きくなっていくらしい。
六次元以上はそういった大きな神仏の領域なのであろう。
高度な宇宙存在も五次元以上にいると思われる。

10000年以上前から高度な宇宙存在は地球のアセンションを知っていたという。
そのために、地球人類として転生を繰り返していたと・・・
自分は「プレアデス」から来ました、「ベガ」から来ました、と自覚のある人「魂」もたくさんいる。
自覚があるから特別なわけでもなく、特殊能力を持つ者だけがニュータイプなのではない。
私たちは、知っていないとならない。
特殊能力がなくても、現実的な今を認識して動かしていくことはできる。
立派なニュータイプの仲間入りである。

今の自分の悩み、問題をいかに片付けるか(クリアできるか)・・・
アセンションは現実的なことなのである。
仕事が見つからない、恋愛が上手く行かない、人間関係がきつい・・・
それらをいかにクリアしていけるかも、アセンションなのである。

お正月早々、Mちゃんと映画「レッドクリフ パート1」を観にいった。
漫画家故横山光輝氏(1934年6月18日双子座生)の作品「三国志」(単行本60巻)を弟に借りて読んだのは、もう20年近く前だろうか・・・
『横山光輝氏の「三国志」は、吉川英治氏の小説「三国志」を元に独自の解釈等を織り交ぜて描かれた作品。吉川英治氏の「三国志」が諸葛亮孔明の死で終わっているのに対して、本作は「蜀」が滅亡するまでを描いている』(wikipedaiより)
漫画とはいえ60巻もあり、内容が濃く読み応え充分である。
「三国志」は、西暦220年頃の中国、「蜀」、「魏」、「呉」の三国の三つ巴のお話である。
万里の長城を築いた「秦」の始皇帝が紀元前221年であるから、その約440年後ということになる。

今でも覚えている好きな登場人物は、「趙雲子龍」(ちょううんしりゅう)と「姜維」(きょうい)である。「趙雲」は、映画「レッドクリフ」でも私のイメージそのままで、真の武士であり、肝っ玉の大きいイイ男である。横山氏の「三国志」では、6巻から53巻まで登場する。一方「姜維」は、50巻から60巻に登場する後半の英雄で、こちらも文武両道のイイ男である。

三国志の君主、「劉備」、「曹操」、「孫権」のファンも多いだろうし、「劉備玄徳」と義兄弟で有名な「関羽」と「長飛」、中国史上最高の軍師である「諸葛亮孔明」は今でも男性陣の支持を一番に得ているだろう。
「周瑜」(しゅうゆ)もイイ男であり、映画「レッドクリフ」ではトニー・レオンが演じているが、肝っ玉の大きさが、「趙雲」「姜維」に敵わない。
戦国もの(中国のものは、「項羽と劉邦」「水滸伝」も読みました)をこよなく愛する私は、女性の感覚で「趙雲」と「姜維」を絶賛したい。

故李學仁氏と王欣太氏の共同作品である漫画「蒼天航路」(1994年〜2005年、講談社漫画賞受賞)は、「三国志」の「曹操」を主人公に描かれていている。
「蒼天航路」の「曹操」は稀代の猛勇であり、イイ男なのである。
映画「レッドクリフ」の「曹操」は「乱世の奸雄」と呼ばれ、悪役である。
日本の歴史を紐解いても同じことが言えるが、歴史とは見る角度を変えると、見える「色」が違うということである。(ただ一方の「色」しか見えない人もいるが・・・)

それらすべては「善」と「悪」ではなく「清」と「濁」の中にあるということだ。
昔は本当に戦国ものが好きで戦闘場面に痺れた。
「大義や義理人情のために戦う」要素は私にとって「清濁」の「清」であった。
だが、近年、読めない作品が出てきた。
「蒼天航路」も「墨攻」(始皇帝より前の戦国時代のお話)も「あずみ」(小山ゆう氏作品、徳川幕府初期、凄腕の美少女剣士のお話)も読めなくなってしまった。
歴史が題材のものは人類そのものの生々しさがあり、その残忍さに耐えられなくなったのである。

「ロード・オブ・ザ・リングス」は、イギリスのJ・R・R・トールキン氏(1892年山羊座生)の小説をピーター・ジャクソン監督(1961年蠍座生)が凝りに凝って、2001年、2002年、2003年と3部作で映画化した。小説「ロード・オブ・ザ・リングス」を読んだのはまだ10代の頃だった。
映画は、SF映画とファンタジーが一番好きである。
生々しさが架空であるので安心できて、自由な縦横無尽の世界であるからだ。

「ロード・オブ・ザ・リングス」はファンタジーでありながら、非常に現実的で複雑なこの世が見事に描かれていた。最終作「王の帰還」で、人間の王国ゴンドールを救済に来たもう一つの王国ローハン軍が圧倒的不利な状況の中、オークの群生に攻め込む前、声高らかに「DEATH!」(日本語訳では、「われらに死を!」)と何度も叫ぶシーンは涙なくして凝視できない。
日本の戦国時代にも圧倒的不利な状況下、死を覚悟の似たような場面が実際にあったことだろう。こんなときに堪えられない「涙」が溢れるがこの「涙」は熱く清く乾いているのだ。
私にとっての戦国ものの「清」とはこの感覚なのである。

戦国ものの登場人物で一番愛しているのは、漫画「花の慶次 雲のかなたに」(故隆慶一郎氏小説「一夢庵風流記」を原哲夫氏が漫画化 1989年〜1993年作品)の主人公、天下一の傾奇者(かぶきもの)前田慶次郎利益である。
私にとって、彼はまさに理想の殿方(男性)であり、究極の「色即是空、空即是色」な生き方を素でしているあこがれの存在である。
そして忘れてはならないのがゴルゴ様だ。
「ゴルゴ13」は、殺しのシーンというより、その背景や心情の描写が多く、今でも愛読できるただ1つの漫画である。

昔の戦国ものの漫画や映画の中に「清濁」の「清」を見つけて感動してきた。
それらは時代が時代なだけに解りやすい真の「勇気」に通じる感情であったからだ。
しかし現代、複雑に進化した文明と見えない三次元権力が「清濁」の区別をつきにくくしている。
今日の暗いニュースの中に「清濁」の「清」を見つけることはできない。
「人」は「魂」の段階において、「清濁」を感じるところが違ってくる。
そして「人」は自らに託された究極の選択権において、自分の人生の「清濁」の加減を選べるのである。
「清濁」の加減が同じもの同士が同じ波長なのかもしれない。