<意義ある人生と幸せな人生 2>No.179

<意義ある人生と幸せな人生>No.121 2011.1.12
https://nakagawaayuki.com/?p=1022
から抜粋


Heroes「ヒーローズ」シーズン1に、
一つだけ、はっとするスピリチュアルな言葉が出てきます。
そこまで意図していたかは定かではないですが、
DNAが突然変化した特殊能力者たちを束ねて、
世界に君臨しようとする存在が言います。

「人生は2種類しかない」
「意義のある人生と、幸せな人生だ」
「意義のある人生を選べば、幸せは遠のき、
幸せな人生を選べば、意義を見出すことはない」

この言葉を聞いたとき、2つの人生の矛盾について考えました。
そして、私は幸せな人生を得たいと思いながら常に、
意義ある人生を追っていたことにも、気が付きました。

「幸せ」とは、とても単純なものかもしれない…
美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、
人を愛して、誰かと楽しく暮らして過ごしていく。

私が、小学5年生で弟が3年生のとき、父に麻雀を習いました。
東京は日本橋生まれの母も家族麻雀をする習慣があって出来ました。
ちょっとずつ複雑な「役」を父は上手に教えてくれました。
中学生のとき、家族でかわいがっていた白文鳥のチッチが死にました。
家族みんなで麻雀をして悲しみを紛らわしました。
麻雀牌は、母が実家から持ってきた古いもの(たぶん象牙で手彫り)を使用していました。
イーソウ牌には死んだチッチにそっくりのかわいい鳥(小鳥)が彫られていました。
(通常は、あまりかわいくない孔雀系)

両親とも多趣味ですが、父はありとあらゆるゲームが出来ました。
正統派の将棋、囲碁、チェス、セブンブリッジ、ポーカー、
遊びで、軍将棋、花札、なども習いました。
スポーツも好きで、野球と卓球は社会人になっても続けていたようですが、
その後、スキーと山歩きに熱心だったようです。
しかし何と言っても一番は「音楽」です。
ジャズとクラシックをこよなく愛していました。
70歳を越した人生後半は、
サックス奏者の矢野沙織さんが17歳のときからファンになって顔見知り、
最近ではジャズピアニストの松本茜さんとも顔見知りで、
月に何度もジャズのライブに通っていました。
http://www.k4.dion.ne.jp/~office-j/

1年に1度のお正月だけは家族麻雀を未だに続けていて、
元旦は穏やかに過ごしましたが、7日朝、突然心不全で父が逝きました。
前日までゲームセンターで遊んでいたそうで、
今月も松本茜さんのライブの予約も入れていました。

私が川越で暮らしていたときに捨て犬を拾っては育てていましたが、
さすがに4匹目を拾ってしまったときに、もう無理と父に押しつけました。
「この子は飼ってあげるからもう拾うな」と言われました。
まだ子犬でしたので「はなちゃん」と名づけられて父にかわいがられました。
12歳になるころ病気になり父は老犬看護に明け暮れ看取りました。


(はな写真)

はなちゃんが亡くなった後、はなちゃんのお友達の
ひなちゃんの飼い主が病気で飼えなくなり父が引き取りました。
そして、ひなちゃんも看取りました。
愛犬がいなくなって淋しそうな父に
「また犬を飼えば」と言うと、
「もう悲しい思いは嫌だし、看取るまで自分が生きているか解らない」と答えました。
そんな折、同居している弟がくろ太郎くんを飼い出しました。
くろ太郎くんはまだ3歳10か月です。
父は孫のようにくろちゃんをかわいがっていました。


(う…、このとき、痩せている…)

さて、父の人生は「意義ある人生」であったのか、
それは本人ではないので解りませんが少なくとも、
とても「幸せな人生」であったと思うのです。
常に好奇心の塊りで、70歳を過ぎてからもインターネットを使いこなすまで
同居している弟は何度も同じことを聞かれたと思います。
(「はるみのホームページは難しくて何書いてあるか解らん」と言われましたが)
ユーチューブで昔のジャズを見つけては聴き入っていました。
「これは俺の青春の曲なんだ」
http://www.youtube.com/watch?v=Ki9Q_l7pyS8

まだ中学生の私に
「はるみ、この漫画は面白いぞ」と「ゴルゴ13」を教えたのは父ですし、
「はるみ、この1つ1つが星じゃなくて星雲なんだよ、宇宙って凄いんだ」と
昭和35年製の銀河の写真集を見せたのも父でした。
私はとても父の影響を受けて育ったのだと思います。

写真は父の部屋のビデオです

しかし、父は「目にみえない存在」を信じないと言いました。
そして人間死んだら「無」になるんだと…
「じゃあ、お父さん「無」とは何?「無」の定義とは?」
と若い時にやり合ったものです。

そしてここ2年くらい前のことだったと思います。
やはり、死んだらどうなるか、と言う話になって、
「お父さん、死んでもなくならないからね、
なくならなかったらちゃんと合図してよ」

「解った、なくならなかったら合図するよ」

父は自宅で朝倒れました。
救急車で病院に運ばれましたがたぶん一気に逝っていたのだと思います。
しかし、検視のため母と弟は現場の実家に一度帰りました。
病院の霊安室で私は父と二人になったとき、父に話しかけました。
「お父さん、お父さんは今肉体を離れたんだよ、解る?」
「身体はもう動かないでしょ、でもそこに居るでしょ、」
「約束覚えているでしょ、覚えていたらろうそくの炎を動かしてみて!」
すると、霊安室のろうそくの炎が激しく何度も踊りました。
父は約束を果たしてくれました。

来月の49日を向かえるまではまだ4次元にいますので3次元もうろうろできます。
「父のことをブログに書こうと思っているの」とパートナーに言ったら
「じゃあ、お父さんにも読んでもらえるね」と彼は言いました。
49日を過ぎた頃、産土さまに案内されて
先に逝った先祖たちが三途の河まで迎えにくると言います。
そこにははなちゃん、ひなちゃんもいるかもしれませんが、
三途の河を渡ったら、その人の魂に相応しい次元(世界)に行くのです。

弟と私は「父は本当に幸せな人生」だったね、と…
最後は、看取る責任のない愛犬にも看取られました。


「人生は2種類しかない」
「意義のある人生と、幸せな人生だ」
「意義のある人生を選べば、幸せは遠のき、
幸せな人生を選べば、意義を見出すことはない」

しかし「人生」において大切なのは「意義」を見出すことではなく
魂が「成長」することなのです。
「意義ある人生」の方が魂が成長しそうに一見思えますが
「幸せな人生」の中にも必然的に「喜怒哀楽」が巡ってきます。
「魂」が気づきを得て「成長」していけるかは「意義」とは関係なかったのです。

喧嘩っ早くて、悪ガキだった父は今月末で80歳でしたが
誕生日を迎えることなく79歳の人生で幕を閉じました。
冷静な弟と違って、父の血が強い私は父と激しい喧嘩をしました。
しかし、ここ1年くらいものすごく穏やかな父に影の薄ささえ感じたほどです。
父の人生で父がどれほど魂の成長を果たしたのか解りませんが、
成長すればするほど宇宙の真理に近づくことが出来るのだと私は信じています。

そして「意義」を求めることより父のように「幸せ」に「成長」できるように
残りの人生を作っていきたいと思います。


(中学生のような父の部屋の父が訪れた山の写真)