<好きと嫌い>No.346

私たちには「喜」「怒」「哀」「楽」の感情がありますが、一方、日常的に「好き」と「嫌い」の感情があります。

人の好みはけっこう一生変わらないもので、「好き」なものは「好き」、「嫌い」なものは「嫌い」です。

私の好みとしては、洋服は紺系が好きだし、食べ物では「キュウリ」が嫌いで食べません。

よく「好き」と「嫌い」は実は同じであると言います。

確かに「好き」でも「嫌い」でもない真逆な感情は「無関心」です。

「好き」と「嫌い」を考えてみました。

そこに関心がいくということはエネルギー的には同じです。

「大好き」と「大嫌い」もエネルギーの大きさは同じです。

でも方向は「肯定」と「否定」で違うのです。

厳密には「好き」と「嫌い」は「働き」が違うのです。

私は若い頃みたいに夢中になれる「大好き」なモノが少なくなりました。

これは「好き」と「嫌い」の振れ幅が小さくなってしまったということです。

歳を重ねて思うことは、「好き」なモノはずっと変わらないで「好き」だし、「嫌い」なモノを見分けるアンテナは年々鋭くなって、ちゃんと自覚しています。

「嫌い」を感じたら「否定」というエネルギーを発し続けることは、心や身体に悪影響なので、そこから圏外にいるように意識を向けています。

地球にはいろいろな人がいるし、ここにはありとあらゆるモノもあるので「嫌い」があって当たり前の世界だと思うのです。

「好き」と「嫌い」はエネルギーの大きさは同じですが「肯定」と「否定」なので「働き」は違います。

<鎌倉(2)>で書きましたが神仏は光の球体です。

私たちが「肯定」を発している時、私たち自身も丸くなって光っているのではないでしょうか、

でも「否定」を発している時、エネルギー量は同じでも歪んでいてギザギザで光っていないのではないでしょうか、

空の星、「恒星」は輝いていますが点滅しています。(惑星は点滅しません)

現在の3次元科学では、恒星は自らが核融合しているからチカチカと輝いてみえるということですが、働きとして「肯定」と「否定」を繰り返していると考えてみます。「否定」は輝きたくない要素です。

「肯定」は成長と進化の働き、「否定」は成長したくない働きとすると、基本的に星は、丸い形で輝いて存在していますので宇宙において「肯定」の働きが圧倒的に強いと言えます。

ですが「肯定」と「否定」はセットであって真逆は「無関心」です。

「無関心」とはエネルギーがない状態で「星」も生まれないのです。

私たちは、日常において「嫌い」なモノをなくす必要はないのです。

「嫌い」なものがあることも存在としての宇宙法則だからです。

「好き」なモノをたくさん見つけて「好き」な人と過ごすときを増やしていくと私たちのオーラが丸く輝いて光を増していきます。

でも「嫌い」な要素を認識したら、そこに長時間とらわれないことです。

「時間」を使うとエネルギーが増すので「否定」のオーラの方が強くなってしまい丸く輝けなくなっていきます。

人類であっても、星のように、神仏のように、出来るだけ丸く輝いていたいと思うのです。

それが地球人類である今、進化の現れであると思うのです。

(鎌倉(4)は次に書きます)

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