<「二極化」という言葉の危険> No.370

「二極化」という言葉を最近良く目にします。

よく生き残れる人、と、そうでない人、みたいな記事があります。

「二極化」・・・この言葉よく考えると「選民的」な要素があります。

選民思想は危険です。

人間にとって一番危険な「驕り」に繋がるからです。

生き残れる人は◯◯な人で、生き残れない人は◯◯な人、とあると、

生き残るためには◯◯をしていないならない、◯◯が出来ていないとならない、と思わせてしまう・・・

一方が優位に立っていて、もう一方が下位にいるような選民的な考えになります。

「二極化」は、ある基準においてはあって当然のものでしょう。

それはもちろん「生き方」によるものです。

どっちにいくかは、本人の自由と責任によるものです。

自由と責任はセットです。

自由であるということは責任も負っているのです。

「情報」として知っておいた方が良いことを知ってそれを判断するのは本人なので、客観的に情報を流した側が「二極化」を煽るのはおかしいのです。

トランス脂肪酸は食べない方が良い・・・

砂糖の入ったものはなるべく食べない方が良い・・・

遺伝子組換えの食品は食べない方が良い・・・

薬はなるべく使用しない方が良い・・・

抗がん剤はなるべく使用しない方が良い・・・

こういった情報の発信は大変に役に立つものなので必要です。

しかしここから二極化に結びつけるのは大きな間違いなのです。

ある基準においては「二極化」はいろいろと起こってくるでしょう。

しかしくれぐれも「二極化」という言葉に惑わされませんように・・・

20170617