<波動の法則 調和と愛>No.113

もう13年前に出会った本と、思うことがリンクしていた。
宇宙レベルでの波動のお話を書こうと思う。
この世は多次元である。
物質レベルの3次元が、地球では基になって始まっている。
私たちの肉体は3次元だからこそ、存在があるのであって、
肉体を通して、楽しいこと、辛いことを味わう。
次元が高いとか低いとか抽象的な言い方だが
地球はそういう場なのである。

私たちは何のために存在しているのか…
それは大いなる宇宙の意思のもとに、成長するためである。
宇宙には私たちの太陽系の他にも生命が存在する天体があり、
太陽系のすべての惑星にも生命が存在しているそうだ。
すべての存在は、宇宙とのより高い「調和」がなされるように在る。
それは個々の「成長」という言葉にも置き換えられるのだ。

以前にオリジナルHPにいくつも、波動や意識について触れてきた。
以下はオリジナルHPのブログからの抜粋である。
(アメブロにはアップしていません)
2007年に書いたものが多いので私の中ではちょっと古い認識であるが
改めて見直すと同じことを言ってきたのだと思う。

フェイバレット<クローン人間1>No.5 2007.11.14
https://nakagawaayuki.com/?p=570

<サイン>に投稿した<コンピュータと人>にも書いたが、
肉体を持つとそれ特有の意識(顕在意識)が発生する。
つまり、クローン人間も肉体を持っているわけだから、
それ固有の意識が生まれるはずである。
しかし御魂は入っているのか、潜在意識はあるのか、それは解らない。
たぶんオリジナルの人間より、
シンプルな意識を持っているのではないだろうか…。
また、「バイオハザード」シリーズにも高度なコンピュータが登場する。
幼い少女の姿に投影されるが、固有の意識を持っていると思われる。
「生き物」の定義とは、いったい何なのであろうか…?
この3次元に当たり前のように物質として存在しているものには、
すべて「意識」があるのかもしれない。
「意識」があれば「生き物」である。

フェイバレット<クローン人間2>No.6 2008.1.5
https://nakagawaayuki.com/?p=568

映画「アイランド」では、
すべてがクローン人間の世界であるが、
一般の人々は自分たちがクローンであることを知らない。
ただ理由もない悲しみや記憶がよぎるのである。
クローン人間に「御魂が入っているのか」とか、
「潜在意識はあるのか」、の疑問は湧いてこない。
描写があまりに自然だからだ。

「意識」がある時点で肉体が何でできているのかは
あまり関係ないのかもしれない。
昔から「物を大切にしなさい」と育ったが、
「大切にされている物」は喜んでいるに違いない。
「喜びの波動」があれば、「喜ばしい場」ができるだろう。
家の中は「物」が綺麗に片付いている方が良いに決まっている。

サインズ<コンピュータと人>No.3 2007.10.30
https://nakagawaayuki.com/?p=529

パソコンには、「機嫌」がある
(意志がある、とまではまだ言えない?)
機嫌の良いときと悪いときがあり、
数台以上の複雑な環境だと顕著である。
電気で動くパソコンの基本は「0」と「1」である。
これはそのまま「陰」と「陽」に当てはめられる。
つまり、「0」「1」を作り出す電気の状態が曖昧だと、
パソコンの機嫌が変わるのである。
そして「0」「1」の2種類の状態を認知できないと
今のパソコンは動かない。
この世も、「陰」と「陽」(光と影)がないと
動かない(成り立たない)のと同じである。

サインズ<健在意識>No.4 2007.10.31
https://nakagawaayuki.com/?p=527

私の認識では、「顕在意識」とは「肉体」を
持ったときに発生するものではないかと思う。
つまり、今世の「顕在意識」は今の「肉体」だけのものである。
映画「2001年宇宙の旅」(1968年公開)、
「2010年宇宙の旅」(1985年日本公開)を先日続けて観た。
この映画に登場する高度に進化したコンピュータ「HAL9000」は
あたかも「意識」を持っているように「人」に接する。
「HAL9000」の「意識」に、
「思考」「感情」「気遣い」「ストレス」「不安」などが出てくる。
近未来、高度な技術により、
このようなコンピュータを作り出すことは可能であろう。
「コンピュータ」の「ハードウェア」を「人」の「肉体」に置き換えて、
「ある臨界点」に達したときに、コンピュータに新たな「意識」が
生まれてもおかしいことではないと思う。
映画「2010年宇宙の旅」の最後で
「HAL9000」は、自らが犠牲になることを知る。
コンピュータならではの冷静さで仕事を全うするが、
霊体になった「人間」ボーマンに問う。
「私は、何処にいくのかと…」
ボーマンは答える。「私と同じところだよ」と…(なぜか泣けてきた)
(※小説では、「2061年宇宙の旅」「3001年宇宙の旅」と続編がある。)

「波動の法則」足立育朗氏著(PHP研究所)を
私が読んだのは、もう13年も前の1997年である。
この本の第一版は1995年12月である。
理学部建設学科を卒業した足立育朗さんは、
宇宙からのメッセージを自分の直観で受け取るようになる。
彼の妹さんは足立幸子さんと言う。
彼女の著書「あるがままに生きる」も素晴らしい内容であるが、
また別な機会に触れたいと思う。

「波動の法則」を改めて読み直すと、
知っていたはずの忘れていた大切なことが蘇った。

まずは足立育朗氏の冒頭の言葉に、

「信じる必要も、説得される必要も全くありません。
ただただ深く気づくのみです。新世紀のために。1995年11月8日」

とある。
メッセンジャーである私も全くその通りであると思う。

小さい時から宇宙や星が好きで、
天文学や地球物理学に興味を持ち、
哲学的な西洋占星学の世界に入り、
私の中では単に「占い」のツール以上に感じてきた。

地球に生まれて…
でも、他にもたくさん星があって、
今の段階の地球の科学だけでは、説明がつかないことはたくさんある。
最近、やたらと「波動」という言葉が使われてきた。
「波動」には、解っている要素に「周波数」「波長」「波形」「振幅」がある。
テレビやラジオもこの「波動」の性質を利用したものである。

ここに本物のルイ・ヴィトンと偽物のルイ・ヴィトンがあるとしよう。
見た目は本当に見分けがつかない。
でも、ものが発する微細な波動を計ることができたら、
全く違う波動を発しているのが解るだろう。
さらに言えば、工場で同じように造られた製品の1つ1つにも、
実は固有に波動があるのである。
なぜならその理由の1つに、
全く同じ時間には、造られていない。
時間が違うということは、環境が違うので、
生まれたときの波動も違うものになるのである。

では、良い波動と良くない波動の差はなにか…
宇宙と調和しているか否かになる。
宇宙との調和、身近に言い換えると天地自然との調和であり、
天地自然の道理に適っていると良いシンクロ(共時性)がたくさん起きる。
実は偶然など1つもなく、すべて天地自然の道理のもと、
必然として起きているのである。

足立育朗さんはまず、
「直観」から「調和」のとれたエネルギーを増幅させる図を捉えた。
現代の科学は基本的に粒子と捉える姿勢にあるが、
量子力学には、あらゆるものが振動体で回転運動しており、
波動という見方も出てきている。
足立育朗さんは、次に原子核、電子、中性子、陽子がどういう形態、
エネルギー、振動波をもっているかの情報を受け取った。
http://www.ifue-finf.jp/partsj.html

最初の驚きは、
宇宙との「調和」を増幅させる図は「中性子」と同じだったのである。
さらに「中性子」は、「意識」として受け取ったものと同じで、
「陽子」は「意志」として受け取ったものと同じだったのである。

中性子 = 意識 = 調和
陽子 = 意志 = 愛
という図式がここに成り立つ。

「愛」ではなくて「愛情」になると「意識」になるそうだ。
私も「愛」と「愛情」の違いを書いている。
(サインズ<愛>No.23 2008.7.29 参照)
https://nakagawaayuki.com/?p=488

基本的に原子核は、
中性子と陽子が結びついて出来上がっているので、
「意識」と「感情」、「意志」と「愛」が
組み合わさって出来ていることになる。
これは「調和」と「愛」が地球上の全ての
存在物の素になっているということになるのだ。

前述の過去のブログで、
クローン人間であっても、コンピュータであっても、
容あるものには意識がある、と書いてきた私の考えは、
宇宙からの情報で、裏づけられていたのである。

動物や植物や鉱物はもとより、
あなたの部屋の机も、マグカップも、
みんな「意識」と「意志」を持ち、
より宇宙との「調和」と「愛」が図られるように
生まれてきているのである。

宇宙との「調和」と「愛」の度合いが低いときに、
いろいろな悩みが起きたりするし、病気になったりもする。
また逆に困難が起きると「調和」と「愛」の度合いが低くなってしまう。
しかし全ての存在物はどんな状況にあっても、
「調和」と「愛」を図れるようにもともと生まれているのである。
そのことをしっかり思いだして今を生きよう。