「原則」の世界

鑑定を行うときに、運命の情報を取ってくる領域には大きく分けると2つある。

1つは物理の法則のような「原則」の世界である。三次元のこの地球において、物体の質量とエネルギーによって放物線が計算されるように、運命もその人の性格、背負っているもの(持って生まれた運命=カルマ)、今の状況(環境)が、どんな行方を示すのか(放物線を描くか)をあらかじめ予測することが可能である。こちらにアクセスすると、東洋系の占いは特に、「命」を視るものも「卦」を発てるものでも「人」が主ではなくて「自然」(地球)が主なので、無常な答えが返ってくる。駄目なものは駄目で、試験も挑戦する前から「落ちる」と答えは決まっている。寿命も決まっていて判ってしまう。

しかし、人生とは「結果」が大事なのではなくて「過程」が大事なのである。逆に言い換えれば「死」を迎える瞬間の「結果」のために人生という「過程」すべてが必要なのである。死ぬ瞬間だけ平和を感じたと思っても「意識」は人生そのものを全部記憶しているのである。

「占い」は無駄なことをしたくない人に暫し必要とされる。受かる可能性がない会社や試験に努力する無駄、想いが叶う望みの無い恋愛をする無駄、行っても楽しくなさそうな旅行やパーティ、などなど・・・。あらかじめ判っていれば無駄を省けるというわけである。

しかし「運命」とは「運ぶ命(いのち)」と書く。「運ぶ」とは「動く」ことである。無駄と判っていても動いているものは「力」を持つ。実はこれが占いの根本原理である。だから本人が挑戦したいなら、本人が好きなら、気の済むまで仕事も恋愛も動くべきなのである。私は通常は余程でないと原則の世界のみでの占いはしないようにしている。特に寿命は視ない。結果の答えが判ったところで何にもならないからである。無常な答えで満足を得られるのは稀であり、「太一」の世界に通じている余程できた「人」でなければ無理だろう。しかしすでに「太一」を体得している「人」には占いは全く不要だろう。

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