「人間」

<「人間」とは>

西洋的な思想と東洋的な思想における「人間」とは、どのような存在なのでしょうか?

西洋的な思想では「人間」とは「善」にも「悪」にも傾く存在で、「善」の世界も「悪」の世界も知っている存在です。

東洋的な思想では、陰陽二元性の振れ幅の世界が基本になっています。

物語を例に出すと、映画マトリックスでは、アノマリィの「ネオ」と「スミス」、均衡を保つ「アーキテクト」と均衡を崩す「オラクル」、小説(映画)ハリー・ポッターでは、真っ当な「ハリー」と闇の帝王「ヴォルデモード」で二元性の世界を創っています。

映画「コンスタンティン」では、「天界」と「魔界」であり、どちらの世界にも属していないが、どちらにも傾く「人間界」は、堕天使ルシファーがサタンの正体であり、この映画においては、大天使ガブリエルも危うい状況に陥っている、これらも二元性の世界の象徴です。

「力」においては「パワー」と「フォース」があります。

人間の持つポジティブな意識の「パワー」に対して、ネガティブな意識が「フォース」です。

「光」あるところに「影」があり、影が深くなりすぎると闇になります。

西洋思想は、ポジティブかネガティブかが、善悪となって認識されやすいのですが、東洋的な思想では、ポジティブかネガティブかということより、陰陽に分けます。

陰陽二元性の世界が基本になっているのです。

また東洋思想では、第三の世界である「太一(たいつ)」の世界があります。

「太一」は、陰陽調和された状態でありながら、陰陽のどちらでもない状態です。言葉としては、「中庸」とか、時間的な意味も含めると「中今」が近いと思われます。

陰にも陽にも傾かない、極端な偏りのない状態なのに、陰陽と共に存在しているのが「太一」の世界です。そして「太一」の世界は「原則」の世界なので天地自然の「占い」の世界なのです。

私たち「人間」は地球という物質3次元のはっきりした陰陽二元性の世界で、自らも陰陽を持って守護の神仏とともに生きているのです。