87年度版、リクルートの進学ブックに取材されたときの記事です。

髪は真っ黒、眉毛も太い、でもウェスト細い28才の私

パソコン教えながら自分のクラスのホームルームでは占いしてました(笑)

初めて出版した本も紹介されてて懐かしい。

ここから31年経った2018年に、今度は見えない世界の本を出せるとは嬉しい限りです。

「44の人生の漢字」は、40年分の人生の雛形を漢字一文字に置き換えて書いてみました。

タロットが元になっていますが、タロットを全く知らない方でも楽しめるようになっています。

Amazonのみの購入ですがご覧になっていただけると嬉しいです。

執筆しているときは、専門書を書くのと違って、1から文章を創造する感じでした。

1行書くのに、20分かかったり・・・

文章が出てこないときは、1ヶ月くらい止まったり・・・

8ヶ月かかりましたが、実質、トランジットの火星がネイタルの太陽に120度しているときに半分は書きました。

やらねばならないときは、火星のパワーは素晴らしいです。

28才の私は、専修学校の教員なので当時、長い夏休みがありました。

そこで、集中的に執筆していました。

人生は長いようで短いな~

 

 

生きている石たち・・・
鉱物から始まる「魂」の連鎖があります。

ソウルメイトになる人とは、石だった頃に、
「人間になったら一緒に暮らそうね」って誓った人だそうです。
隣り合う石はいくつもあるわけで、ソウルメイトももちろん一人じゃないのです。

 

20160821ブログ

現在、私たちが知りうる真理においては、

時間が先か、空間が先か、・・・「時間」が先です。

鶏が先か、卵が先か・・・「鶏」が先です。

 

だとしたら、現在の私たちの宇宙はビッグバンから始まったのではなく、

古い宇宙から生まれたと考える方が自然・・・

 

http://www.dailygalaxy.com/my_weblog/2016/07/no-big-bang-our-universe-was-formed-from-an-older-collapsing-universe.html

 

ビッグバンではない

異端の物理学者、故神坂新太郎先生は独自の方法で「想い」の伝達スピードは1秒間に約3億キロメートルという計算をしていました。
そこから導き出された霊界までの距離は約1200億キロメートルくらいだということです。
さて、1200億キロメートルとは宇宙ではどの当たりになるのか考えてみました。
太陽系の大きさは冥王星まで約60億キロメートルくらいです。

(直径にすると約120億キロメートルくらい)

一番近い恒星のアルファ・ケンタウリ星までは4.36光年。
1光年は約9兆4600億キロメートルくらいなので、
一番近い恒星まで約41兆2456億キロメートルということになります。
1200億キロは、冥王星までの直径の約10倍の距離ですが、
一番近い恒星には、程遠いことになります。
私たちは誰もがオーラに包まれています。
オーラの中にはその人の先祖の守護霊さま、同じ系統の仕事をしてきた指導霊さま、そして、守護の神仏が一緒にいらっしゃいます。
私たちは高次の霊界とともに存在しているとも言えるのです。
オーラが影響する平均的なその人のエネルギーフィールドの大きさを考えた時、肉体の大きさの10倍くらいとすると、神坂先生が計算した太陽系の霊界までの距離が1200億キロメートルというのは頷けます。
太陽系(地球)の霊界の場所は地球のオーラ、エネルギーフィールドの臨界と考えることもできると思いました。
20160413オーラ

宇宙が誕生した時点でそこに「存在」があります。
原初宇宙は、素粒子が湧き上がる世界が想定されていますが、
どのように誕生したかが問題なのではなく「存在」があることが原理(真理)なのです。
存在こそが「善」でありポジティブそのものだからです。
原子核を構成する陽子は「愛」、中性子は「調和」、電子は「方向」を示しています。
「愛」と「調和」の宇宙の誕生に、進化(もしかしたらただの遊びかも)の要素として、
電子にはその方向を選べる自由意思が託されました。
ネガティブな方向を選べば「破壊」や「殺戮」になります。
しかし、大元の「存在」は「善」なので必ず、修復する方向をまた選ぶのです。

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石には石の御魂が宿っているようです。
最初は鉱物から始まって植物、動物、そして雲になっていくようです。
人間の御魂(内在神)とは、神道でいうところの一霊四魂です。
足立育郎さんの「波動の法則」では原子核の集合体になります。
「雲」がいろいろな形に見えるのは御魂があるからなのです。
神仏(写真は龍神さま鳳凰神さまのよう)に近い状態なのかもしれません。

「波動の法則」(足立育朗氏)より

原子核の集合体のスタディとは次のようなことを言います。
原子核の集合体がまだ未熟な段階にあり、周波数が低く、自然の法則をまだより詳しく正確に理解できていないレベルの振動波の時には、スタディのためにいろいろな状態のボディを選択し、そこで体験をして味わうということをしています。
最初は鉱物から始まって、確実にスタディをし、だんだん成長して原子核の数が増え、構成の仕方も変わってきます。
植物を選択したり、動物を選択したり、人間の原子核の集合体として今度は人間のボディを選択したりという、こういう成長の仕方をしていくわけです。
動物のスタディの後、雲を選択しスタディします。

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<意義ある人生と幸せな人生>No.121 2011.1.12
http://nakagawaharumi.jp/?p=1022
から抜粋


Heroes「ヒーローズ」シーズン1に、
一つだけ、はっとするスピリチュアルな言葉が出てきます。
そこまで意図していたかは定かではないですが、
DNAが突然変化した特殊能力者たちを束ねて、
世界に君臨しようとする存在が言います。

「人生は2種類しかない」
「意義のある人生と、幸せな人生だ」
「意義のある人生を選べば、幸せは遠のき、
幸せな人生を選べば、意義を見出すことはない」

この言葉を聞いたとき、2つの人生の矛盾について考えました。
そして、私は幸せな人生を得たいと思いながら常に、
意義ある人生を追っていたことにも、気が付きました。

「幸せ」とは、とても単純なものかもしれない…
美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、
人を愛して、誰かと楽しく暮らして過ごしていく。

私が、小学5年生で弟が3年生のとき、父に麻雀を習いました。
東京は日本橋生まれの母も家族麻雀をする習慣があって出来ました。
ちょっとずつ複雑な「役」を父は上手に教えてくれました。
中学生のとき、家族でかわいがっていた白文鳥のチッチが死にました。
家族みんなで麻雀をして悲しみを紛らわしました。
麻雀牌は、母が実家から持ってきた古いもの(たぶん象牙で手彫り)を使用していました。
イーソウ牌には死んだチッチにそっくりのかわいい鳥(小鳥)が彫られていました。
(通常は、あまりかわいくない孔雀系)

両親とも多趣味ですが、父はありとあらゆるゲームが出来ました。
正統派の将棋、囲碁、チェス、セブンブリッジ、ポーカー、
遊びで、軍将棋、花札、なども習いました。
スポーツも好きで、野球と卓球は社会人になっても続けていたようですが、
その後、スキーと山歩きに熱心だったようです。
しかし何と言っても一番は「音楽」です。
ジャズとクラシックをこよなく愛していました。
70歳を越した人生後半は、
サックス奏者の矢野沙織さんが17歳のときからファンになって顔見知り、
最近ではジャズピアニストの松本茜さんとも顔見知りで、
月に何度もジャズのライブに通っていました。
http://www.k4.dion.ne.jp/~office-j/

1年に1度のお正月だけは家族麻雀を未だに続けていて、
元旦は穏やかに過ごしましたが、7日朝、突然心不全で父が逝きました。
前日までゲームセンターで遊んでいたそうで、
今月も松本茜さんのライブの予約も入れていました。

 

私が川越で暮らしていたときに捨て犬を拾っては育てていましたが、
さすがに4匹目を拾ってしまったときに、もう無理と父に押しつけました。
「この子は飼ってあげるからもう拾うな」と言われました。
まだ子犬でしたので「はなちゃん」と名づけられて父にかわいがられました。
12歳になるころ病気になり父は老犬看護に明け暮れ看取りました。


(はな写真)

はなちゃんが亡くなった後、はなちゃんのお友達の
ひなちゃんの飼い主が病気で飼えなくなり父が引き取りました。
そして、ひなちゃんも看取りました。
愛犬がいなくなって淋しそうな父に
「また犬を飼えば」と言うと、
「もう悲しい思いは嫌だし、看取るまで自分が生きているか解らない」と答えました。
そんな折、同居している弟がくろ太郎くんを飼い出しました。
くろ太郎くんはまだ3歳10か月です。
父は孫のようにくろちゃんをかわいがっていました。

<予期しなかった夏休み>No.93 2010.8.9
http://nakagawaharumi.jp/?p=722
私も一昨年入院した後に、実家でくろちゃんと一緒に過ごしています。

(う…、このとき、痩せている…)

さて、父の人生は「意義ある人生」であったのか、
それは本人ではないので解りませんが少なくとも、
とても「幸せな人生」であったと思うのです。
常に好奇心の塊りで、70歳を過ぎてからもインターネットを使いこなすまで
同居している弟は何度も同じことを聞かれたと思います。
(「はるみのホームページは難しくて何書いてあるか解らん」と言われましたが)
ユーチューブで昔のジャズを見つけては聴き入っていました。
「これは俺の青春の曲なんだ」
http://www.youtube.com/watch?v=Ki9Q_l7pyS8

まだ中学生の私に
「はるみ、この漫画は面白いぞ」と「ゴルゴ13」を教えたのは父ですし、
「はるみ、この1つ1つが星じゃなくて星雲なんだよ、宇宙って凄いんだ」と
昭和35年製の銀河の写真集を見せたのも父でした。
私はとても父の影響を受けて育ったのだと思います。

写真は父の部屋のビデオです

しかし、父は「目にみえない存在」を信じないと言いました。
そして人間死んだら「無」になるんだと…
「じゃあ、お父さん「無」とは何?「無」の定義とは?」
と若い時にやり合ったものです。

そしてここ2年くらい前のことだったと思います。
やはり、死んだらどうなるか、と言う話になって、
「お父さん、死んでもなくならないからね、
なくならなかったらちゃんと合図してよ」

「解った、なくならなかったら合図するよ」

父は自宅で朝倒れました。
救急車で病院に運ばれましたがたぶん一気に逝っていたのだと思います。
しかし、検視のため母と弟は現場の実家に一度帰りました。
病院の霊安室で私は父と二人になったとき、父に話しかけました。
「お父さん、お父さんは今肉体を離れたんだよ、解る?」
「身体はもう動かないでしょ、でもそこに居るでしょ、」
「約束覚えているでしょ、覚えていたらろうそくの炎を動かしてみて!」
すると、霊安室のろうそくの炎が激しく何度も踊りました。
父は約束を果たしてくれました。

来月の49日を向かえるまではまだ4次元にいますので3次元もうろうろできます。
「父のことをブログに書こうと思っているの」とパートナーに言ったら
「じゃあ、お父さんにも読んでもらえるね」と彼は言いました。
49日を過ぎた頃、産土さまに案内されて
先に逝った先祖たちが三途の河まで迎えにくると言います。
そこにははなちゃん、ひなちゃんもいるかもしれませんが、
三途の河を渡ったら、その人の魂に相応しい次元(世界)に行くのです。

弟と私は「父は本当に幸せな人生」だったね、と…
最後は、看取る責任のない愛犬にも看取られました。


「人生は2種類しかない」
「意義のある人生と、幸せな人生だ」
「意義のある人生を選べば、幸せは遠のき、
幸せな人生を選べば、意義を見出すことはない」

しかし「人生」において大切なのは「意義」を見出すことではなく
魂が「成長」することなのです。
「意義ある人生」の方が魂が成長しそうに一見思えますが
「幸せな人生」の中にも必然的に「喜怒哀楽」が巡ってきます。
「魂」が気づきを得て「成長」していけるかは「意義」とは関係なかったのです。

喧嘩っ早くて、悪ガキだった父は今月末で80歳でしたが
誕生日を迎えることなく79歳の人生で幕を閉じました。
冷静な弟と違って、父の血が強い私は父と激しい喧嘩をしました。
しかし、ここ1年くらいものすごく穏やかな父に影の薄ささえ感じたほどです。
父の人生で父がどれほど魂の成長を果たしたのか解りませんが、
成長すればするほど宇宙の真理に近づくことが出来るのだと私は信じています。

そして「意義」を求めることより父のように「幸せ」に「成長」できるように
残りの人生を作っていきたいと思います。


(中学生のような父の部屋の父が訪れた山の写真)

私は立ち耳、巻き尾の白い犬が特別、好きでした。
日本人の前世もいくつかあるので、前世にでも飼っていたのかもしれません。
<ちょっと、つぶやく 05>には、
一目ぼれで買った北海道犬のぬいぐるみのことも書きました。

http://nakagawaharumi.jp/?p=927
http://ameblo.jp/haruminakagawa/day-20101127.html
立ち耳、巻き尾の白い犬といえば、紀州犬と北海道犬が代表的です。
ソフトバンクCMでお馴染の動物タレントのカイくんは北海道犬です。

(写真はカイくん)
 

 

紀州犬に比べて北海道犬は毛が2重コートになっていて、もこもこです。
私は24歳~39歳まで北海道犬の雑種を飼っていました。
名前は「わん太」くんです。
過去のブログに何度か触れましたが、彼は賢くて大胆で自由を求めてよく脱走しました。
飼い主に似るというけど彼は私に、
良いところも困ったところも、似ていました。

 
(わん太ちゃん)
 

私は24歳の年に結婚して川越に住んでいました。
当時の川越は国有保有林がまだたくさんあって、よく犬が捨てられていました。
わん太を始め、私は4匹も犬を拾いました。
4匹目は女の子(シェットランドの雑種と思われる)だったので
実家(中野)の父に押しつけました。
3匹のオス犬たちと過ごして幸せな日々を送っていました。
2匹目のシェパードの雑種と思われるラッキーと
3匹目の茶柴犬の雑種と思われる三四郎も愛していましたが、
立ち耳巻き尾の白っぽい北海道犬の雑種、わん太は私にとって特別でした。
 

(33歳の私とわん太)

 
そんな折、書店で子供向けの児童書に目を惹かれました。

「星になったチロ」藤井旭氏著(ポプラ社)です。
(第1版 1984年)

「星になったチロ」は、犬なのに天文台長になった実話です。
チロは私の大好きな北海道犬であり、
しかも大好きな星(天文)が一緒となれば、
たとえ子供向けの児童書であろうが即購入ですぅ~!
著者である藤井さんは当時、白河天体観測所を拠点とした
天体観測写真家として活動していて、チロは彼の飼い犬でした。

 
「星になったチロ」冒頭文より~

「北海道犬のチロが、わたしの家にやってきたのは、
アポロ宇宙船で人類が初めて月面に足跡をしるしてから
間もなくのころの冬の満月の夜のことでした。」…
  

「星仲間たちとすごしたその十二年の間に、
チロは天文台長さんになったり、
いん石捜索団長さんになったり、またあるときは
星まつり”星空への招待”の代表世話人(いやイヌかな?)
として大活躍したりしました。」

  

そして、最後の方の文章より~
 
「病院の先生方も必死でした。
けれども九月十四日の夕方、
チロはわたしの腕の中で静かに息をひきとりました。
さも、気持ちよさそうにねむる、
いつものチロのやすらかな寝顔のようでした。」
「星になったチロ」の続編に、
「チロと星空」(1987年)、
「チロの星まつり」(1988年)もあります。


チロは藤井さんのパートナーでした。
 

この頃は、こんなお話も読めたのですが、
現在は、動物もので死んでしまうのや、
動物が人の犠牲になったりする想定があるものは、
映画だろうと小説だろうと、一切、観ないようにしています。

(わざわざ泣くためにエネルギーをもう使えない)
         
      
もうひとつ、まだこんなお話が読めた頃に出会った本を紹介します。
「戦場をかける犬」アンソニー・リチャードソン氏著(文春文庫)
(第1版 1977年)


裏表紙の紹介文より~

「1940年、絶え間ない爆撃のため廃墟と化した家で
一匹の子犬が震えながら死を待っていた。
一方チェコの亡命飛行士ヤンはドイツ軍の
対空砲火をあびて近くの果樹園に不時着し、
同僚と共に休息を求めてその家にたどりついた―
こうしてそれから14年間、信じられないほどの深い愛で
結ばれた人と犬とが出会ったのである。…」

 
この本の主人公ヤンは著者アンソニー氏の実際の友人のようです。
小説仕立てのように書かれていますが、
「星になったチロ」同様、実際にあったお話です。
この本に登場する犬はシェパードの「アンティス」です。

 
「ヤンはアンティスを人間のように扱った。」

 
 
「猛烈な爆発と衝撃は、そのあとたてつづけに、
何度も何度もヤン達の周囲に巻き起った。」
「その夜アンティスが救った人びとは数え切れぬほどだった。
暗い夜の廃墟で、アンティスの鋭い鼻と勘の良さで救われた人々は、
もしもアンティスがその場に居なかったら、
大部分は人事不詳のまま、生き埋めになったにちがいない。」
 

飛行機乗りの主人公とともに、
シェパードのアンティスも一緒に飛行機に乗って、
戦闘に行くのが印象的でした。
  

アンティスもヤンのパートナーでした。

 
私とわん太もパートナーであったけど、
当時は家の中ではなく、庭の犬小屋で飼っていたので、
今だったらもっと一緒にいろんなことが出来たのにと悔やまれます。
わん太は1983年11月30日に拾ってきました。
西洋占星学で生まれ日を推定すると、
1983年10月15日~18日くらいが想定できました。
1998年4月17日、朝5:26、私の枕元で息を引き取りました。
写真に撮っておきたいと思ったほど(しませんでしたが)
穏やかな顔でした。
当時、親しかった霊能者の先生が馬頭観音様(動物の観音様)に
抱かれて上がって行ったのが視えたと教えてくれました。

 
(雨上がりの散歩で泥だらけの笑っているわん太)

人間の霊界は実に30000もの段階に分かれているということです。
こっちに居る(生きている)間に、何を成したかで行ける世界が違うのです。
人間はピン切りですが、犬は個性があっても、
人間ほどピン切りではない(悪人(悪犬)はいない))ので、
犬の霊界はそんなに分かれていないようです。
(動物は動物の霊界があって、人間の霊界と一緒に地球を包んでいます)

 
でも今日、とっても偉いワンちゃんもいれば、わがままなワンちゃんもいますから、
犬は、犬の道を全うするように、全ての生命は、生命の持ち味を活かした
生き方があるのだと思います。

 
わん太と一緒にいるとき、
飼い犬や飼いネコ、飼い鳥など、
愛して一緒にいる全ての動物との別れは悲しいものですが、
それ以上に、素晴らしい「時」を
共有している実感を持っていたいと思いました。

(現在弟のパートナー、くろ太郎くんの子供のとき)


お釈迦様の言葉です。

「すべての生きとし生けるものよ、幸せであれ」
 
 
 

今回は退院後、実家で過ごしていました。(といっても同じ東京ですが)
1泊くらい実家に行くことはあっても、2週間近くも親と過ごしたのは24歳のとき以来です。

両親と弟と一緒にご飯を食べたり会話したりするのが、とても自然でした。
(年を取ったせいですかね、)

朝起きてパン食べて、ちょっとしたらお昼ご飯で、
家事もなく、パソコンもなく、仕事もない時間は、、、まさに夏休み?
穏やかな時間が流れて、植木に水をやると夜ご飯になります。

実家からは前に住んでいたマンションが近いので行ってみました。
10年住んでいたはずなのに、そこに10年もいた、という実感がないのです。
まるで違う次元にいるような感じでした。

私がパソコンの前に不在の間も、
ブログやツイッタをご覧いただいてくださった皆さま、ありがとうございます。
応援エネルギーを感じています。

何もしない1ヶ月だったからこそ、
いろいろ考えてはまた元に戻ったりを繰り返しました。

そんな中、弟の犬「くろ太郎」くんと過ごす時間が幸せでした。

犬と猫は人間社会において、特殊な哺乳類です。
自然環境の中だけで生きている犬は現代の日本にはいないでしょう。
猫はノラでも存在していますが(といっても助ける人間がいなくては生きられない)、
犬は野犬として捕獲されてしまいます。

くろ太郎くんは、弟が里親になって引き取ってきた雑種です。
(かつて、私も捨て犬を3匹飼っていたし、4匹目は父に押しつけました)

「犬」と言う種族の不思議も感じながら、
くろちゃんに癒された日々でした。

無事、パソコンの前に復帰しましたご報告として、
本日はくろちゃんと私をアップさせていただきます~

ちなみに髪は夜会巻きもどきをしているので変です。

はるみとくろ太郎

幼稚園からピアノを習っていた私がまず将来なりたい職業は、ピアノの先生だった。
小学4年生あたりから作文を書くのが大好きになり、
「私の将来なりたいもの」の作文の内容は「小説家」であった。
中学生になってからは、ケント紙とGペンを買ってきて漫画を描き、
授業中には小説を書いていた。当時の作品が今でも残っている。
一人で馬鹿笑いが出来るほど今読み返すとすごーく可笑しい〜
(作品は恐怖漫画や恋愛コメディです)

中学2年生のとき、音大付属高校を目指して、
ピアノは1レッスン数千円の音大の先生(バスか電車でいきます)に通いながら、
月謝でお願いしている先生(自宅から歩いていけます)に
調音(耳で聞いた音を音符に書き取る)と
声楽(ソルフェージュですね、初見で歌わされます)を習っていた。
しかし、14歳で自分の将来が決まってしまうのが(音大付属に入ったら音楽しかない)
不安で気が進まなくなっていると、レッスン当日、必ず頭が痛くなる。
母は見かねてみーんな、一気に辞めさせてくれた。
(ここでの母の決断は実に賢いと今も思う)
挫折を味わい、高校生になるまでピアノは1年弾かなかった。

高校生になってからは、「詩」に凝りだす。
韻を踏むように書いたり、歌詞をつけて作曲もした。
またビートルズの曲を自分流に和訳したりして楽しんだ。
音楽が好きだったので部活は、音楽部(コーラス部)に入った。
歌う方が好きなのに、なまじピアノが弾けたので伴奏の順番が回ってきて嫌だった。
伴奏は大嫌いだった。

私の卒業した都立高校は学生運動(団塊の人たちによる)があった高校で、
自由な校風になり、男女共学、制服がなく私服だった。
幼稚園以前から洋服にうるさい私は小遣い、お年玉のほとんどを洋服に投資した。

また3年生になると、基本単位以外は自由に科目を選択できた。
就職組は最低単位で、大学進学組はみっちり単位を入れると倍近く学習時間が違った。
大学進学するつもりで単位をみっちり入れたが、文系か理系か迷っていた。
理系に必要な科目も入れたので数学や物理のかなり難しい授業も受けた。
なぜか物理はできたが、選択科目の数学は付いていくのがやっとで、
微分積分をあっと言う間に解ける男子の頭脳にはかなわないと悟った。
(通常の女性ホルモンは数学は苦手だそうで…)

しかし文系の大学に行く気もせず、
当時最新の工業専門課程の学校法人専修学校に2年進学した。
ここの学校の窓口の勧誘で私の運命は大きく変わる。
情報処理科と呼ばれていたソフトウェアを勉強する科に進学するつもりが、
この年から開設された電子情報処理科というハードウェアも
勉強する科を勧められ、窓口で変えてしまったのだ。
入学してからその大変さに気付く。
まず、情報処理科の学生は男女半々くらいなのだが、
電子情報処理科は約60名いて女子は3人だけだった。
(それも一見して男性ホルモンが強そうな女子)
はんだこてを使って電子基板にICチップを接合させる授業もあり、
不器用な私はマイコン制作に大変苦労した。

MacやiPodの生みの親、若き日のスティーブ・ジョブス氏(1955年魚座、その後アップル社)は、同世代なのにもう教科書に登場していた。
同じく同世代の孫正義氏(1957年獅子座、その後ソフトバンク社)が、
日本に持ち込んだインベーダーゲームで学校の帰りは必ず遊んだ。
ビル・ゲイツ氏(1955年蠍座、マイクロソフト社)の
MS-DOS英語版から進化していくWindowsにはずっと付き合うことになる。

この学校には就職センターというのがあり、職安と同じ資格を有していた。
システムハウスやユーザー電算機部門に就職していくのであるが、
プログラマやSEにはあまりなりたくなかった。
(しかも通常の情報処理科ではないので不利だった。)

高校生から独学で西洋占星術を知っていた私は自分の運が良いのが9月までだと思っていた。
高校卒業後は趣味で、セミプロの合唱団に入団していた。
合唱団の活動は夜週に2回、19歳は最年少である。
2つ年上の友人が先週発売の(本屋ではもう売っていない)「週刊就職情報」をくれた。
その冊子は私の運が良いぎりぎり8月末のもので、入りたい会社の募集があった。

外資系一部上場企業で、職種はデモンストレーター(インストラクタ)である。
メーカーである自社のコンピュータの販促部門で、
システム設計、プログラミング、インストラクション、マニュアル作成など
多様な仕事ができる女性専用の技術部門だった。
即刻履歴書を出して、学校の就職センターに頼らず就職を決めた。
しかし、就職センターの先生はその後もいろいろフォローしてくれた。

この会社での様子は前ブログ<健康に良いお茶>に書いた通りである。

傑作は、学校で習ったコンピュータ言語BASICを、
先輩のお姉さま方はまだ知らなかったので私が中心にプロジェクトを組んだ。
まだ日本語のパソコンがやっと出始めた頃である。
自社のPCの販促プログラムに占いの知識を活かして、相性占いを制作した。
生年月日を2人分いれると、星座と干支で判断し何%相性がいいか、
ハートがピンクに塗りつぶされるようにした。
50%ならハートは半分までしかピンクにならない。
ショウルームに展示されて好評だったが、
24歳でこの会社を辞めるまで私の手取りは10万を越さなかった。

ある日、残業で営業に頼まれたプロポジを作っているとふつふつと不満がこみ上げた。
時間外のプリンターに誓う。
いつか独立して、自分の会社を作ってやる…

23歳で結婚して都内から埼玉川越に住むようになっていた。
通勤時間は片道1時間半では無理だった。
なれない主婦をしつつ、転職を考えていたところへ、
卒業した専修学校から講師の仕事をしないかと誘いが届いた。

マイコン(今のPCの原型)を教えてくれた先生が校長に就任していた。
(今でも年賀状をいただいています)
学校に戻って助手を1年経て、
当時最先端のMS-DOSの論文を書き、専任講師に昇格した。
学校内の専任講師は女性では2人目だった。

バブル期に入る景気である。
転職して、年収も1.5倍になった。
さらに、教員はアルバイトが自由だったので、出版社から持ち込まれた企画、
初心者のためのプログラミングの本などを書き印税をいただいた。
(スピリチュアルマザーズのインタビュー記事)
http://www.spiritual-mothers.com/lightworker/index.html

自分の書籍が本屋さんに積まれているのを見るのはうれしかった。
29歳の時だった。

さてこの時を境に人生は努力しても思い通りにならないように変わっていく。

今年4月からアメブロを始め、ブログジャンルを
「占い」ではなく、「備亡録」と「アラフィフ」にした。
もちろん、スピリチュアルなことも書きたいと思っているが、
病気をして人生いろいろ回想した私に、「備亡録」と「アラフィフ」はふさわしい。

実は明日からまたちょっと入院します。
今回は緊急ではないので静養もあって行ってきます。

人生思い通りに行かなくなって、
IT系からスピリチュアルな世界に入った私の半生を
退院したら書きたいと思っています。

しばし皆さま、グッドラック!